「All Flowers In Time 東京」レポート
Text : 原田高裕
人間だったら、誰しも好きな花の一つや二つはあるものだ。かく言う私も、道端で目立たずに咲く小さな花を見つけて、その大いなる生命力に畏れながらも、自分だけの発見したようでひとり悦に入ることがある。花という存在は面白い。古来から、花は人の様々な思考を具現表象する際に重用されてきた。周期性、両義性、神秘性、意匠、分類、ロマンティシズム・・・。身近ではあるが、花は人の暮らしにしっかりと寄り添ってくれている。
花を愛するアーティストは、古今東西数多く存在する。 これまでもポップソングの歌詞に、数え切れないほど登場してきた。しかし、とあるミュージシャンの花に対するこだわり(偏愛ともいえる)はかなりのものだ。 自作の歌によく花のイメージを採り入れ、撮影では何のてらいもなく花を持ち、挙げ句の果てに、自身のレコードレーベルも花の名前という徹底ぶりだ。そう、佐野元春とはそんな男だ。
佐野元春「30周年感謝」の総まとめとしての全国大都市ツアーは、「All Flowers In Time」と題された。「すべての花々よ 一同に集え」といった意訳になるのだろうか。ところで、佐野は「Flowers」という言葉にどのような意味を込めたのだろうか。たぶん、いくつかの意味合いがあったように思う。音楽活動を支えてきた「ミュージシャン」たち、聴き手としての「ファンやリスナー」たち、楽曲といった「作品」たち・・・。これらすべてが、佐野にとっては「Flowers」という存在であるにちがいない。
先に触れたように、彼自身のレコードレーベルは「DaisyMusic」と名付けられている。 デイジー=ヒナギクは、パッと見では花々がこぢんまりと群生で咲いているのだが、土の下では根が幾重にも密接に絡み合っているという。このアンビバレントなイメージ—表層では一輪一輪が凛として花を咲かせているが、深層では数々の細い根同士が結束し、強い紐帯を育んでいる—が「All Flowers In Time」のタイトルに込められているのは、想像に難くない。
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それでは、2011年6月に行われた「All Flowers In Time 東京」のレポートに入っていこう。まずは、ライヴ本編前のプロローグに関して、少々触れてみたい。東京国際フォーラムでの公演に於いてはお決まりとなったフランク永井「有楽町で逢いましょう」大音量BGMはもちろんのことだが、東京ファイナルでは特別のラジオドラマ(ということにしておこう)が会場で流された。賛否両論を巻き起こしたこのラジオドラマ、台本の原典はアルバム『サムディ』の手作りポケットブック中の「INTRODUCTION」にある。 そこでは、佐野本人をどことなく彷彿とさせる「彼」と、「ブルーバード」と呼ばれる女性との会話が繰り広げられている。ブルーバードは、少しだけ意地悪に彼を詰問する。
「現代の恋人達には通用しないわ、あなたの作る歌って、まるで...まるで温まったストロベリー・ムースみたいで...。少なくとも私達にとっては、何の価値もないものだわ」
彼は、“弁明”する。
「考えすぎさ、ブルーバード。君も僕も二人の出発点は同じだったはずだろ」
私はラジオドラマを会場で聴いて、こう確信した。「佐野元春の三十年は、『音楽なんて、現実の前では通用しないよ』という至極ごもっともな世間からの忠告に対する、『そうじゃないぜ』という全身全霊を賭した“弁明”の三十年だった」と。以前、私はMWSにて「アンジェリーナの日」のライヴレポートを寄せたが、その拙文にてこう書いた。「音楽なんて無くたっていい/音楽へのたぎるような情熱。誰も聴いてくれないのじゃないか、いや、誰かは聴いてゴキゲンになってくれるかもしれない・・・。佐野元春は、この三十年間、ずっとこの“揺らぎ”の中で暮らし、創作し、表現してきたのではないだろうか」。
そう、この弁明や揺らぎに創作表現という武器で真正面から挑む、それも三十年間不断で挑み続けてきた“誠実さ”は、ファンにとって大いなる誇りとなっている。佐野元春の三十年にわたる「誠実なる格闘」を凝縮したロックンロール・ショウ、それが「All Flowers In Time 東京」だったのだ。
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ここからは、ライヴ本編におけるハイライトのいくつかを振り返ってみたい。まずは、ライヴを観た聴衆の多くに「あれは、凄かった」と言わしめた「欲望」だ。演奏、アレンジ、歌詞、ヴォーカル、演出、そのどれもが有機的に混ざり合い、「地下鉄の窓に映る 膨れていくだけの欲望」がいよいよもって極点を迎えた(あとはパチンとはじけるだけだ) 2011年のムードを、ステージや会場の隅々にまで醸し出した。そういえば、三十周年記念として昨年9月に出たベスト盤「Very Best of Motoharu Sano」に同封されていた手紙によると、本人としては自虐気味だが真顔で「Very Lust of Motoharu Sano!」のタイトルを打診していたという。拝金や利便性をどこかで良しとしていた従来の豊かさの基準が変貌を遂げつつあるなか、「もうひとつの豊かさ」のあるべき姿を求め佐野は叫んでいた。君が欲しい、と。
前半のクライマックスとなった「レインガール」も、 印象に強く残る演奏だった。セルフカバーアルバム『月と専制君主』にてワルツ調=三拍子として新生したのだが、そもそも痛快ロックナンバーだったことは、ファンにはよく知られている。『月と専制君主』の中で、最も過激に解釈が再構築されリファインされた(平たく言うと、四拍子が三拍子になった)「レインガール」。今回のライヴでもワルツ調のアレンジで演奏されたのだが、作者自身は実に明確な意図を持っていた。
僕にとって三拍子は、さあみんなで歌おう!と呼び掛ける音楽。そこには団結やユニティが生まれる。それは今の時代に得られにくいもの。友愛の感覚を取り戻したいという願いもあって、こういう曲調に向かったのかもしれない。
曲の終わりでは「la la la la la la la...♪」と、佐野とバンドと聴衆との間に調和が訪れ、まさしく「音楽を通じた団結」が実現した瞬間であった。佐野の傍らにファンが集い、真の友愛に向けて共に唱和する—。私自身、感極まるものがあったことを、ここに付記しておく。 歌詞に耳を傾けてみると、ソウルボーイがレインガールに、控えめではあるが切々とこう訴えかけている。
いつか君と少しだけ話したい
いつか君と少しだけ踊りたい
いつか君と少しだけ眠りたい
レインガール
この世界観は、「新しい航海」に引き継がれていった。
「新しい航海」はライヴの終盤、「欲望」と同じように屹然たる高みを有したクオリティで演奏された。実際には「サムディ〜悲しきRadio〜アンジェリーナ」という怒濤のクライマックスが控えていたのであるが、「All Flowers In Time 東京」をこうして振り返ってみると、「新しい航海」にて達成と充実が会場に満ち溢れていたように思う。
過去、「新しい航海」が完全無欠な演奏を誇った時期がある。それは、1992〜93年の「See Far Miles Tour part II」だ。佐野自身が「数度目かのピークを刻んだ」と認める、伝説のツアーだ。「All Flowers In Time 東京」においても、 佐野は「新しい航海」で、自らのキャリアに再びピークを刻み込んだ。
しかし、90年代はじめにはあった、望蜀を叶えようと邁進する社会の生気や光景は、今では雲散霧消してしまった。「新しい航海」の歌詞には、2011年の日本の世相を、直接的に思い起こさせるものがある。「ガレキの中に 荒れ地の中に 君が見えてくる」というラインに、どうしても情緒情動が集中しがちになる。しかし私感を述べさせてもらうならば、佐野のまなざしは、この印象的なリフレインに込められているように思う。
サファイヤの夜空にまばたく
今までの夢はまぼろし
悲しげに生きるより
眠りたい
眠りたい
「レインガール」でも象徴的に用いられていた、「眠りたい」という歌詞。文字面のみの印象では、 過酷且つ「未体験ゾーン」に足を踏み入れたことだけは自明である今の現実を前にした、 無気力・失望・諦めとも評釈できるが、佐野元春がそう易々と弱気になるはずがない。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』のブックレットで、佐野は「新しい航海」に対してこのような警句を付していた。 J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』収録「エズミに捧ぐ」の終わりからの引用だ。
本当に眠くなる人には
無キズのままの人間にもどれるチャンスがある
新生へ向けた励ましのメッセージである一方で、実は痛烈な現代批評にもなっている。欺瞞や怯えが渦巻き、人間の資質として正当な希求さえも萎縮している今の状況下において、 無キズのままの人間としての能力、無垢な魂を、我々は取り戻すことができるのか。あるべき姿に戻ることはできるのか—。圧倒的で燦めく演奏が繰り広げられ一種の恍惚に浸る中、私は逡巡していた。
軽い放心状態の中、明るくなったステージを見ると、元春が何やら早口で喋りだした。 それも、うつむき加減で右に左に小刻みにステージを歩き回りながら。ステージで見せる情緒不安定系パフォーマンスには慣れているはずだったが、この日のテンションは異様だった。だんだんと落ち着きを取り戻し始めた元春は、こんなことを語り始めた。
この曲を書いて、そしてみんなが発見してくれて、この曲が生かされたことに僕は心から感謝したいです。この曲は自分が書いたんだけど、時を経てみんなの歌になりました。でも、ちょっと待って?やっぱり僕の歌だよ!やっぱり、僕の曲だ!! もしよかったら、みんな一緒に歌ってくれる?一緒に歌おう
そして、あのドラムのフィルが入り「サムディ」がはじまった。
私は一緒に歌い口ずさみながら、そして一抹の寂しさを覚えながらも観念した、「あぁ、ほんとうに『サムディ』が元春に還っていった」と。この歌は、確かに「我らの歌」だった。三十年前に生まれたこの歌は、ずっと我らに寄り添う歌だった。たぶん、引きとめ過ぎていたのだろう。それだけ大事な、特別な一輪の花だった。そして、三十年経ったいま、我らから還っていった。案ずることはない、あるべき場所に戻っていったのだから。「All Flowers In Time 東京」での「サムディ」の合唱は、ファンからの「佐野元春へ向けたこれまでの感謝」の証となった。
アンコールの「アンジェリーナ」が疾走し、大円団を迎えたステージ。オーディエンスの心からの拍手が鳴り止まない。そんな中、佐野元春は少し照れながら、ズボンのポケットから一枚のメモをおもむろに取り出して読み始める。
このあてのない人生に、音楽があることへの感謝。音楽なんて無くたって生きていけるけど、音楽があったおかげでこんなにも見える景色が拡がりました。若葉の頃から始まった音楽の旅は、得たり失くしたりを繰りかえしながら、ようやくここまでやってきました。あらためて、これからもずっと、僕の持てる音楽への情熱の限りをみなさんに捧げたいと思います。僕の音楽と共にいてくれて、どうもありがとう。これからもよろしくお願いします。
他の人はどう思うかわからないが、私はこの言葉を「まごころからの言葉」と信じる。この態度を、「まごころからの態度」とする。三十年の旅路の果てに、我々はまごころをつかみ、そして分かち合った。そんなの非現実で楽天的すぎるって? だけど、ヒナギクの花言葉は「無邪気」なのだからしょうがない。
一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見、
君の掌のうちに無限を
一時のうちに永遠を握る。
ウィリアム・ブレイク 「無垢の予兆」より
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以上、ハイライトと思われる部分を中心に「All Flowers In Time 東京」を振り返ってみた。念のため断っておくが、今回取り上げた楽曲のみが、評として取り上げるに値するわけでは毛頭ない。練達のアレンジで演奏された「トゥナイト」、ラテンフレイバーでたたみ掛けた「ヤングブラッズ」「観覧車の夜」のフロー、「ロックンロール・ナイト」の雄叫び、ホーボー・キング・バンドのポテンシャルが十二分に引き出されたバンドアンサンブルと歌詞に、男泣き決壊寸前まで追い込まれた「ヤング・フォーエバー」・・・などなど、見所聴き所は満載だ。12月に発売予定のライヴDVDでは、この「All Flowers In Time 東京」が全編ノーカットで収録される。このステージを観ることができなかった方には、是非とも真の音楽体験として楽しんでもらいたいし、ファンのみなさんは30周年アニバーサリーを振り返ったり、佐野音楽のさらなる探究に向かっていくのもいいだろう。
また、この拙稿では触れられなかった「3つの違うバンドと、3つの異なる表現」というテーマで展開された「30周年アニバーサリー・ツアー」、多彩なゲストミュージシャンが招かれ「佐野元春版ラスト・ワルツ」といった趣で華やかに催された「All Flowers In Time 大阪」については、その詳細がMWSの特設ページで紹介されているし、DVDのデラックス仕様には、その全貌が記録されることだろう。また、三十年の歩みの刻銘なアーカイヴとなる全集『サウンド&ビジョン 1980-2010』の編纂も、着々と進められている。
「30周年感謝 佐野元春」を体感し、「All Flowers In Time 東京」を観て、私は思った。「徹底的に、現在進行形だ」と。佐野元春の精悍さには、懐古郷愁に浸ることをどこか拒絶する強靱な意志が息づいていた。この「現在進行形」具合は、特筆すべきことだといっていい。“弁明”と“揺らぎ”との格闘を積み重ねながら、 佐野元春は今日もまた創作表現を持続しているはずだ。
花は咲き散り、そして元に還っていく。新しい季節が訪れるために。そう思わないかい?