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In Motion 2001- 植民地の夜は更けて
Motoharu Sano with Akira Inoue Foundation


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ライナー
Daze in Motion 青澤隆明

「このパフォーマンスを経験しているのとしていないのとでは、人の知覚は全然違うだろう。」終演後の楽屋で佐野元春は言った。その場を共有した誰もが静かに興奮していた。僕たちは新しい航海に出て、強い光を抱きしめたばかりだった。「いまのパフォーマンスは、最高にエキサイティングだったか?」と佐野はまだ少し息の上がった声で続けた。近くに佇む井上鑑も微笑んでいた気がする。言いたいことは星の数ほどあったが、ここで僕が答える必要はないだろう。真実は、このパッケージから放たれるライヴの緊迫した空気のなかにあるのだから。

佐野元春の20年を超える音楽活動は、言葉の面から言えば日本語のビート性を探究した孤高の軌跡と言える。強度のロックンロール・ポエトリーと卓抜なソング・ライティングで1980年代以降の音楽シーンを牽引しながら、カウンター・カルチャーの分野で果敢な言語実験を試み続ける彼は、時代の先を行くプロデュース力で新たな地平を開拓し、現在の若い世代を含む共感と無数のフォロワーを生んでいる。音楽はもちろんリーディングやラジオDJでの肉声の魅力も独特の個性を放つが、音読される言葉の強度について、これほど一貫して意識的な表現者は数少ないだろう。

「通常の表現と違う方法で、言葉の音楽化を試してみたい。リアルな表現、イメージの洪水。経験の空間を創り出し、共有する。それにはスポークン・ワーズがまさに最適な方法なんだ」と佐野元春は語っていた。

1950年代から60年代のアメリカに沸騰した、ビート詩人やボブ・ディランをはじめとするソング・ライターたちの活躍は、対抗文化を掲げた世代による「時代の声」を生々しくライヴで伝える意味で、現在に至るまでユースカルチャーにとって象徴的な意味をもっている。ビート・ムーヴメントの文学的な価値や社会性については様々な考察が可能だが、活字のアカデミズムを超え、個人の自立を通して、声すなわち人間性の回復が夢みられたことは確かだろう。以降、ニューヨークをはじめアメリカでは毎週のように朗読のパフォーマンスが行われ、日本でもジャズや即興演奏とのセッションなど様々な試みが続けられている。

佐野は独自の音楽表現と併行して、自ら主宰するマガジン“THIS”をはじめとするメディアでも、ビートを多角的に再検証してきた。その誌面でアレン・ギンズバーグ、グレゴリー・コーソと対話し、1994年にはマイケル・マクルーアとレイ・マンザレク、デイヴィッド・アムラムを東京に招いて、ポエトリー・イヴェント“Beat-titude−新たなる言葉の復権に向けて”を成功させた。

1990年代後半、アメリカではポエトリー・リーディング再燃と称されるほど、熱く関心が高まった。日本でも都内のライヴ・スポットやカフェなどを拠点に、朗読会やオープンマイクのイヴェントが頻繁に開催され、若い世代を含む幅広い層の個人が自作の朗読を行い、様々なCDも発表されている。詩と朗読をめぐる創造は新世紀に入ってもますます広がりをみせているようだ。'In motion 2001'は、ますます高まりをみせるポエトリー・リーディング・シーンと、日本の戦後からの現代詩表現に対して、ロックン・ロールのフィールドで時代を疾走してきた佐野元春から放たれる有効な回答と提案になるだろう。

「言葉から音楽へ、音楽から言葉へ。今までにないアプローチを試みてきたことがここで一段落しようとしている。困難な時代に生きるなかで、これから言葉も音楽も僕たちにとってますます大事なものになってくると思う」。鎌倉芸術館の今回のラスト・ステージ、井上鑑はオーディエンスにそう話しかけた。

今までの佐野のキャリアにはないような顔合わせで、強力なバンドを新しく結成し、このステージを真に刺激的なものにしたい。井上は当初からこのアイディアを提言し、自らメンバーを選び抜いた。ベースの高水健司、ドラムスの山木秀夫、マルチ・リード・プレイヤーの山本拓夫がこれに応え、ジャズのアプローチを含む多様な音楽性をもつ大人のバンドがここに誕生した。井上自身は新鋭のNUENDOシステムのテクノロジーを採用し、新しい表現の可能性もステージで探りたいと意欲をみせた。佐野はインターネットでのライヴ配信に当初から強い関心を抱いて、それぞれに2001年にパフォーマンスを行うことの可能性を探っていた。



 Listen >>> RadioMWS 'In Motion 2001' 特集

曲目

01. ポップチルドレン
02. 廃虚の街 
03. Sleep
04. ふたりの理由
05. こんな夜には
06. ベルネーズソース
07. Insightlude - Dovanna
08. 日曜日は無情の日
09. ブルーの見解
10. ああ、どうしてラブソングは...

Live at Kamakura Performing Arts Center
Sep.21 - 22 2001

All words and music written by Motoharu Sano
*except 'Insightlude' by Akira Inoue





選曲に関しても考え抜かれたレパートリーが結集した。様々な時期に発表された作品から広く選ばれている。アルバム一作ごとに新しい表現を創り出されてきた佐野だけに、原曲の言語/音楽表現の語彙が多彩で、ある意味これまでの彼のスポークン・ワーズの集大成という感がある。加えて新曲も披露されることになった。詩のテーマやスタイルを考えても、個々に様々な風景を映しながら、多くの要素を孕みつつ鋭く現在に問いかける、多彩な言語世界/詩的風景が用意されていると思う。ひとつの物語を綴るというよりも、語り部としての様々な視点を映しつつ、全体としてはある精神の旅程が示される音楽詩集になるのではないか、と僕は予感した。「エレクトリック・ガーデン」の素材が、15年の時を経てどのようにライヴで展開され、「電子の庭・再訪」の様相を呈するのかも興味深い。また「僕は愚かな人類の子供だった」は、その寓話的な広さと切実さの共鳴も含めて、日本のポップ・カルチャーのひとつの深い達成だと僕は認識している。いずれにせよオーディエンスには、情報量としても経験の総量としても、相当の詩的官能の波が押し寄せることになるだろう。

「鎌倉芸術館 詩と音楽のコンサートX Microsoft Office XP presents 'In motion 2001 - 植民地の夜は更けて' words and music佐野元春*井上 鑑」は、2001年9月21日と22日の3ステージで展開され、ただならぬ熱気のうちに終幕した。しかし、彼らの冒険はまだ始まったばかりだ。あるいは次なる段階へ向けて、すでに動き出しているのかも知れない。

僕はまだあの眩暈のなかで目覚めたままだ。一瞬の闇のなかに決然として求め、佐野元春が描いた光の軌跡を、僕は決して忘れない。このライヴ音源を聴きながら、少しずつその意味を噛みしめていくだろう。いまどれだけ客観的にあの特別な光景を振り返ることができるかはわからないが、いつまでも風化しない経験の時を共有できたことはやはり幸運としか言いようがない。表現に自覚的なインディヴィジュアルたち、大勢のオーディエンスに直接その現場に立ち会い、パッケージとなってさらに多くの人々の深い心に触れられるのは素晴らしいことだ。'In motion 2001'はこの時期に行われた無数のパフォーミング・アーツのなかで、おそらく時代を最も鋭敏に投影した果実のひとつだったと僕は思う。そしてその音や映像は、佐野元春が井上鑑、高水健司、山木秀夫、山本拓夫という優れた音楽家とともに冒険した、激しくもクールな旅の始まりを生々しく再現している。鮮やかに生成する詩と音楽の光景は、僕たちの意識に焼きついたまま消え失せることはないだろう。これは佐野元春のスポークン・ワーズと、2001年という時がスリリングにin motionした、永遠の現在のドキュメンタリーなのだから。

プロフィール/青澤隆明(あおさわたかあきら)

1970年東京生まれ。鎌倉で育つ。東京外国語大学英米語学科卒。高校在学中から音楽に寄せる文章を新聞・雑誌などに執筆。とくにクラシック音楽に関するエッセイ、批評、インタヴュー記事、書評、解説が多い。1997年から鎌倉芸術館主催事業の企画・制作を担当。様々なジャンルのコンサート、 イヴェントに取り組んでいる。





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