「希望」を巡る新作『THE SUN』の景色
今井智子

 4月に、「希望」というテーマで佐野元春と対談したのだが、そこで「ちょうど、そのテーマで曲を作ったところ」と、彼は出来たばかりの曲を聴かせてくれた。

 そして彼は言った。希望の裏には絶望がある。絶望を知っていると希望を希求する。両方を感じ取ることによって、希望の本当の意味がわかってくる気がする。それを3分間のポップ・ソングにしたいのだが、なかなかうまくいかないんだ、と。また、ポリティカルなテーマは、たとえ拙くても生の感情とメッセージで歌ってしまえばいい、ゴキゲンなビートとメロディが加われば、いろいろなメッセージが放射されて行く、とも。

 いつものように謙虚な口ぶりだったが、この曲に彼が多くの思いを込めているのは確かであり、彼のいわんとするところは曲から十分に伝わってくる。“希望”はポップ・ミュージックではポピュラーなテーマであり、あまたの“希望”が歌われてきた。敢えてその言葉をタイトルにするのは、彼の思いの大きさとも受け取れる。彼には珍しく拍子抜けするほどストレートなタイトルは意外だけれども、その率直さが却って、いま希望を持つことの難しさと重要性を表しているようでもある。

 穏やかな調子で、ありふれた日常を切り取っていくような歌を聴きながら、ささやかな希望を抱くことができるのは、こんな日常があればこそなのだと、改めて思った。何事もなく、ありふれた日々を過ごせるほど幸せなことはない。その先にあるのは“希望”と“自由”、と彼は歌う。

 正面切って、こうしたことを歌にするのは、ありふれた日常を送れず、希望や自由を見いだすことの出来ない状態にある人たちが、日々のニュースに溢れて いるからだろう。また、例えば戦争状態になくても、じわじわと“自由”や“希望”が狭められていたりもする。未来が決して輝かしいだけのものでないことを、子供さえ感じ取ってしまうような昨今、無邪気に“希望”を持つのも難しいとさえ思う。そんな状態への警鐘が、率直な言葉から響いてくる。イノセントなポップ・ミュージックに、どれほど多くの真実が込められてきたことか。それを、この曲は思い出させてくれた。

 希望を持つことは生きる力であり、前に進む原動力となる。この場に留まることが精一杯の状況なら、希望すら抱けない。ひとりの人間として希望を持てるだけの未来を獲得することの大切さ。もっとも、それに気づくのは、彼の言う通り絶望と言うものの存在を知り、そこからいかに希望を見いだすかを学んでからで、平穏を退屈と感じる若い頃には、刺激や冒険を求めてしまったりもする。それもまた生の原動力である希望のなせる技なのだが、自分が今いる場所を俯瞰して、そこからどこへ向かうべきなのか、眺めるだけの冷静さを持つことも大切だ。“光の導くままに”進むには、その光を見いださなければならない。そして光に導かれて“我が道を行く”としても、途中には迷いや誘惑や後悔もあるだろう。それを越えて進み続けられるのは、“希望”があるからだ。
 
 そしてもうひとつ。彼の歌には常に、希望や未来を共有する相手が登場する。これもまた、忘れてはならない重要なことだと思う。自閉的な個人主義に留まるのではなく、自分が人間として自立することで、誰かと共に生きることが可能になる。その誰かは無限大だ。“希望”は、ひとりひとりがそれぞれに持つものだが、誰かと共に進むことも大きな推進力になる。

 振り返れば、彼は作品を通じて常にそうしたテーマを投げ掛けてきたのだが、新作『The Sun』でもそれが全体を揺るぎなく貫いている。加えて、この作品が彼の設立した新しいレーベルからリリースされることが、また別な意味合いを作品に含 ませてもいる。自ら選んだ道に立ち、新たな旅立ちをする彼の、未来は“希望”と“自由”に彩られていると、宣言するものでもあるようだ。歩き出した彼とともに、私たちも進む。