どの曲をとっても、”佐野元春”がいる
田家秀樹

 20世紀が終わった時、その先に待っている21世紀をどんな風にイメージしていただろう。たとえバラ色の未来とまでは行かなくても、ここまで思いがけない変化を予測した人がどのくらいいただろうか。
 
 その最たるものが戦争であることは言うまでもない。ニューヨークを襲ったテロに始まり、その報復という大義名分によって引き起こされた二つの戦争。正義と真実が謀略と打算に翻弄され、世界は一気に混迷の闇に迷い込んでいった。
 
 いつからこんな風になったのか。そんな問いは、今も答えの見えないまま続いている。60年代だったどうだっただろう、70年代のミュージシャンだったらどうしていただろう。連日繰り広げられる目を覆いたくなるようなニュースを見るたびに、そんな風に思ったりしていた。聞き手である僕らでさえそうなのだから、心あるアーテイストが、今まで経験したことのないジレンマに直面したことは想像に難くない。
 
 佐野元春の新作アルバム「THE SUN」は、丸5年ぶりだ。前作「STONES AND EGGS」が1999年だったから、「THE SUN」は、21世紀最初のアルバムということになる。
 
 なぜ、そんなに間だが空いたのか。そんな質問に、彼は二つの理由を挙げた。一つはそんな創作上の理由だ。そして、もう一つはレコード会社などを巡る環境の整備である。でもアルバムの感想を踏まえて言えば、前者の要素がかなりの比重を占めていたのではないかと推測する。
 
 ロックンロールは時代のニュースである、と言ったのはジョンレノンだった。そういう文脈で言えば「THE SUN」は、佐野元春が、彼にとってロックンロールとは何かという極めて本質的で普遍的な自問の中で生まれたアルバムだと思った。
 
 ジャーナリズムは時事的な出来事の表面を伝えることはあっても、必ずしも問題点を浮き彫りにはしない。そして、もっと言えば、人々の内面にも関わらないし、語りかけることもない。
 
 アルバム「THE SUN」はジャーナリステイックなアルバムではないだろう。確かに佐野元春がどんな想いで21世紀を迎えたかという時代と深い関わりを持ってはいる。でも、政治的な党性が先行した60年代のフォークソングや、個人的な意見や信条を主観的に並べるだけの一面的なプロテスト・ソングのような上滑りなメッセージには終わらない。自分がどこに立ち、誰に何を歌いかけるべきか綿密に練り上げられたアルバムだと思う。

 アルバムにはいくつものストーリーがある。それこそ80年代のロックシーンで彼が切り開いたソングライテイングのスタイルだろう。80年代のアルバムの中にみずみずしく躍動していた都会のカサノバやナイチンゲールたちの現在。彼が”ニューエイジ”と高らかにネーミングした世代のその後。離婚やリストラ。世の中が決してハッピーなファンタジーだけではないことを知ってしまった男女に向けた希望の歌。どの曲をとっても、”佐野元春”がいる。
 
 楽曲だけではない。ホーボーキングバンドが、ここまで”バンド”としての有機的なアンサンブルを見せたのは初めてではないだろうか。アルバムの曲の中には、ホーボーキングバンドとハートランドの合体というセッションも入っている。そういう意味でも、佐野元春のバンドサウンドの理想型が形になっていると言って良いと思う。そのために5年という時間があったと言って過言でないのかもしれない。
 
 意外に思った曲もある。タイトルをあげてしまえば「国のための準備」だ。何気なく歌詞を見て瞬間的に「どうしたんだ」と思ってしまった。あれだけ個人をスポイルする世の中のシステムにシニカルな視線を向けていた彼が、いつからナショナリストになったのだと、反発に近い戸惑いもあった。そこが”言葉”と”音楽”の違いだろう。あのロックンロールの響きと、タイトル曲でもある「太陽」。そこに流れているもの。それが彼の答えなのだと思った。
 
 21世紀のポップミュージックが向き合わなければいけないのはこういうことなのだと思う。このアルバムが若いロック・アーテイストたちにとっての一つの指針になることを願っている。