ロックの意味を問いかけるアルバム
前田祥丈

 『Blood Moon』は、佐野元春がこの時代におけるロックの意味を改めて問いかけているアルバムだと思った。

 今、ロックという言葉の捉え方、定義は人によってかなり違ってしまっている。ロックに同時代体験として触れた体験をもつ人にとって、ロックとは世代的価値観と同義語であったりする。しかし、ロックを、過去のある時代に流行った今はもう有効性のない音楽スタイルのひとつ、と見なす人もけっして少なくないと思う。
 たぶん、そういう捉え方をされてしまう原因は、ロックという音楽の歴史の中にもあった。そして、それをさらに助長したのが、ロックという言葉が、その意味するものを必ずしも掘り下げられないまま、あいまいに、そして恣意的に使われてきたことにもあった。
 1970年代半ば、すでにイーグルスが「Hotel California」で、ロック・スピリットの喪失を指摘していた。それは、社会的ムーブメントであったロックが、単なるスタイルとして商業化されていく時代の変化への警鐘だった。
 『Blood Moon』を聴いて、まず思ったのがそんなことだった。

 佐野元春がバンドによるロック表現を試みたのは三度目になる。ハートランド、ホーボーキング、そしてこのアルバムでも素晴らしい演奏を聴かせてくれるザ・コヨーテバンド。どの場合も、バンドであることに大きな意味があった。クリエイター、佐野元春のイマジネーションをそのまま形に出来るワンマンスタイルではなく、メンバーという制限のあるバンドでの共同作業であるがゆえの個性の表出。佐野元春が、そこにこだわるのは、ロックのオリジナリティ、クリエイティビティの原点がそこにあるという認識が、彼の中にあるからではないだろうか。事実、佐野元春は、それぞれの時代におけるバンド活動を通じて、その音楽性を発展させてきたのだと思う。

 ちょっと誤解を招きかねない書き方をすると、『Blood Moon』のサウンドには、60〜70年代のロックの匂いを感じる。けれど、それはこのアルバムが回顧的な作品だということでは決してない。そうではなく、イーグルスが言う、ロック・スピリットが生きていた時代の気配が強く感じられるということだ。
 個人的感想になってしまうけれど、60年代中期から70年代中期にかけてのロックは本当に刺激的だった。サーフィン・ホットロッド、ブリティッシュ・インベンションから、フォーク・ロック、サイケデリック、ブルース・ロック、アート・ロック、プログレッシブ・ロック、ジャズ・ロックからファンク……。さまざまなバンドから届けられるサウンドからは、ワクワクするビートとともに、なにか新しいものが確かに生まれつつあることに立ち会っているような感覚があった。
 今思えば、さまざまなルーツ・ミュージックをクロスオーバーさせながら創造されていったこの時代のロックは、サウンドそのものが新たな時代のビジョンを描き出そうとしていたのだと思う。
 だから、この時代のロックを聴いていた人間にとっては、ロックとはクリエイティビティを感じさせる音楽のことだった。『Blood Moon』に感じられるのは、そんなイマジネーションに満ちた音楽に感じた刺激に通じる感覚だった。

 ロックのクリエイティビティに対する佐野元春のこだわりは、ジャケット・アートにも見て取れる。バッと見ただけで感じられるように、アートワークを手掛けたStormStudioは、ピンク・フロイドなどで知られるイギリスのデザインチーム、ヒプノシスの流れを汲んでいる。
 おそらく、佐野元春が意図したのは、ヒプノシス的世界観を取り込むことだけでなく、ジャケットワークをクリエイティブなアート表現とすることもまたロック表現であることを示すことだったのではないか。その意味で、このジャケットからは、ヒプノシス的世界だけでなく、アメリカのプッシュピン・スタジオなど音楽と強い関連をもった一連のアートワークを評価する姿勢が感じられる。

 『Blood Moon』には、ロックのクリエイティビティ、カルチャーとしてのパワーなどを再評価しつつ、佐野元春ならではの音楽として、この時代に提示しようとする強い意志がある。その遺志を、なにより強く感じさせるのが、サウンド、そしてアートによるロック・スピリットの再構築に対峙する詞の世界だ。
 佐野元春が言葉で紡いでいるのは、まさに今の時代のリアルな空気感だ。3.11によって突き付けられた現実に、僕たちは本当に真摯に向き合っているのだろうか。希望を語りたくても言葉がとりとめなく流れていく不確実さ、目を凝らしても出口が見えない閉塞感、うたた寝をしている間にどこかに漂流していくような不安感。そうした不確実な時代を、僕たちはどう生きようとしているのか。
 佐野元春は、そんな現実に対して安直な気休めの言葉を投げかけたりはしない。ただ、そんな現実を受け止め、時代の奥に潜むものを見通そうとしている。その姿勢から、この時代に対峙するためには、今こそロックの力が必要なのだと、彼が語りかけているようにも感じられるのだ。

 改めて思う。『Blood Moon』は、ブレることなくロックに取り組み続けてきたベテランアーティストだからこそ創り得たアルバムだ。1980年にデビューして以来、佐野元春が示してきた音楽の足跡が、この作品にたどり着いた。その意味で、まさに『Blood Moon』は佐野元春の今であり、アルバムを聴く僕たちの今を問いかけるアルバムなのだと思う。