時代への警鐘にとどまらず肉声として伝わってくるアルバム
今井智子

 これが3作目になるザ・コヨーテ・バンドとの演奏は脂が乗って来て、ライヴが楽しみになるようなダイナミズムを感じさせる。持ち前の力強いロックを軸にしながらラテンやファンクなど多彩なサウンドで、表情豊かな歌とともに、デビュー35周年を迎えた佐野元春の歴史も振り返らせる。だが、これが単なるアニバーサリー・アルバムではないことは、一目いや一聴瞭然だ。ヒプノシスの流れを汲むデザインチームによるジャケット・デザインは、誰もが危なっかしいものを頭上に乗せて生きている、という警鐘だろうか。

 佐野らしい躍動感に溢れたオープニング・ナンバーの「境界線」に導かれ、これまで越えられなかったラインを超えたくなってくる。どこかに引かれた国境のようなものかもしれないし、心の中の壁かもしれない。読売新聞社のドキュメンタリーCMテーマソングに採用されたこの曲は、ジャーナリズムが越えるべき、あるいは守るべきボーダーラインを再確認させているようにも思える。

 この曲がアルバム『Blood Moon』を方向付けているのは間違いないだろう。聴き進むほどに、その進路は真っ直ぐではなく、大きく振れながら動いていることに気付く。大人になったことで自ずと身に付いて行く諦観や、人には思いがけない内面があること、現実から離れる週末の日々に甦る穏やかな心、そして自問する。自分自身のことから人類というものについて。海辺のような穏やかなサウンドに乗って、何かのスイッチが入ったように直截的な言葉が聴こえてくる。「この世界を動かしているのは何?」「争ってみたって何も変わらない」

 わかっている。わかっているけれど、口に出さずにいられない。徒労であったとしても、言うべきことはある。「誰かの神」が誰なのか。「キャビアとキャピタリズム」に登場するのは何ものか。長い歴史を振り返れば、事あるごとに繰り返されて来たことで、権力への批判や反骨精神はポピュラーミュージックの永遠の原動力だ。佐野の楽曲にも折に触れ反骨精神は発揮されてきたし社会的なテーマも歌って来たけれど、今までになくストレートな表現が突き刺さる。何よりも重要なのは、この作品が2015年7月22日にリリースされたということだ。

 もちろん、この日時を意識して作られた曲ではないだろうし、歌詞の内容はむしろ普遍的と言ってもいいものだ。佐野らしいジャーナリスティックな視線が、人々の心の中で反響している思いを掬い上げた言葉になってクールに響いてくる。10年前、あるいは10年後にこの曲を聴いても今と同じように共感するのだろうが、ある時間軸と出会った時に特別な意味を持つのが、音楽の面白くも恐ろしいところだ。それが思いがけず歌の重荷になるかもしれないことも、彼はわかっていることだろう。それでも曲を書き歌い作品として発表した。時代への警鐘にとどまらず彼自身の肉声として伝わってくるアルバム『Blood Moon』と、これを発表した佐野元春を私は頼もしく思う。