異議申し立てとポップな気品が両立したアルバム
渡辺 亨

  “気分はもう戦争”━━1982年に出版された矢作俊彦(原作)と大友克洋によるこの名作コミックのタイトルが、現在の日本の空気をもっとも言い表しているのでは、と思わざる得ない2015年の7月22日に佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドの『Blood Moon』はリリースされた。事情は異なるものの、昨年12月にアメリカ合衆国でディアンジェロの『Black Messiah』がリリースされた時と同じく、このタイミングは単なる偶然ではなく、歴史の必然だと僕は感じている。

 昨年、アメリカ合衆国では、丸腰の黒人青年が白人警官に射殺された事件、白人警官の過剰な制圧によって死亡するという事件が相次いで起こった。『Black Messiah』は、後者の事件に関わった白人警官の不起訴処分に対する抗議運動が全米で勃発したことを受けて急遽リリースされた。一連の事件と『Black Messiah』の間に直接の繋がりはない。だが、『Black Messiah』は、ある意味では、前述の事件が起こることを予見していたかのようなアルバムだ。だから昨年12月12日の未明にディアンジェロが約15年の沈黙を破って新作をリリースするという一報を耳にした時、そして『Black Messiah』を初めて聴いた時、これは歴史の必然だと強く感じ、思わず身震いした。優れたアーティストというのは、時代の不穏な空気を敏感に感じる炭坑の中のカナリアのような存在であることも再確認した。 

 僕は『Black Messiah』と同じような気持で『Blood Moon』を受け取った。

 『Blood Moon』を、ときどき歌詞カードに目をやりながら聴いていたら、ふとニッキ・ジョヴァンニのことを思い出した。ニッキ・ジョヴァンニはアメリカ合衆国でもっとも有名なアフリカン・アメリカンの女性詩人の一人であり、ポエトリー・リーディングのレコードもリリースしている。1943年生まれの彼女が最初の詩集『Black Feeling, Black Talk』を出版したのは、 1967年のこと。当時の彼女はアフロ・ヘアだった。アフロ・ヘアは、文字通りアフリカン・アメリカンならではの、縮れた髪の毛を球形に形作ったヘア・スタイル。アフリカン・アメリカンにとってありのままの自然なヘア・スタイルであり、そこには“Black is Beautiful”という主張も込められている。つまりアフリカン・アメリカンであることの誇りを示すヘア・スタイルだ。こうしたこともあって、当時ニッキ・ジョヴァンニは、“radical”な詩人と呼ばれた。彼女が脚光を浴び始めた頃のアメリカ社会は、68年4月4日のマーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺、黒人解放運動、ベトナム反戦運動、貧困問題などで混乱していた。そんな時代だからこそ、彼女はラディカルに成らざるを得なかった。彼女は、黒人や女性は自由を手にして解放されなけばいけないないという主張を込めた詩を書いた。ところが、彼女は本当は穏やかで味わいのある詩を書きたかった。きちんと韻を踏んだ詩を書きたかった。美しい木についての詩を書きたかった。がしかし、時代は彼女にそうさせてくれなかった。アフリカン・アメリカンで、女性で、シングル・マザーだったニッキ・ジョヴァンニは、ラディカルな詩を書かざるを得なかった。

 『Blood Moon』の歌詞のテーマやモチーフは、昔からの佐野元春のファンにとって馴染み深いものだ。ただし、気の利いた言い回しはほとんど用いられておらず、その代わりにいつになく直截な表現が目につく。おそらくこのアルバムの歌詞は日本語以外の言語に翻訳しても、ほとんどそのまま外国の人たちに伝わるだろう。今、僕は、このような詩を書かざるを得なかった佐野元春の心情に思いを馳せながら、『Blood Moon』を聴き、このアルバムが2015年の夏にリリースされたことの重みを噛みしめている。

 『Blood Moon』は社会正義に貫かれているが、それは硬直化した思想ではなく、柔軟な知性に基づくものだ。そして『Blood Moon』は、R&Bやラテンなどに基づく褐色のグルーヴにも貫かれている。さらには空間的な広がりがあり、ジェントルな風情が漂い、爽やかな風が吹き抜け、優しい陽射しに照らされてもいる。

 『Blood Moon』は、佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドにとって通算3作目にあたるオリジナル・アルバムだ。一緒に活動し始めてから10年。それだけに、強靱なバンド・サウンドが生み出されている。佐野元春とザ・コヨーテ・バンドのコンビネーションは年月を重ねるごとにだんだん良くなってきたが、ここにきてひとつのピークを迎えている。そんな手応えをひしひし感じる。

 1997年にリリースされた『THE BARN』には、「マナサス」という曲が収められている。CSN&Yのスティーヴン・スティルスが70年代に率いていたマナサスにあやかってタイトルが付けられたラテン・ロック調のナンバーだ。また、2004年にリリースされた『THE SUN』には、「観覧車の夜」という曲がある。「マナサス」以上にラテン色の濃いナンバーだ。「マナサス」の演奏は、佐野元春&ザ・ホーボー・キング・バンド。「観覧車の夜」は、アレンジを手掛けた高橋ゲタ夫を中心としたオルケスタ・デル・ソルのメンバーらによって演奏されている。『Blood Moon』』の4曲目「バイ・ザ・シー」は、「マナサス」と「観覧車の夜」をブレンドしたようなナンバーだが、このラテン・ロック調の曲を、僕は気に入って繰り返し聴いている。この曲を聴くだけで、佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドが、バンドとして深化していることがよく分かる。「バイ・ザ・シー」は、異議申し立てとポップな気品が両立している『Blood Moon』を、もっとも象徴する曲と言っていいだろう。同じ意味合いで、ブライアン・ウィルソンとグレン・キャンベルに対するオマージュと受け取れる要素を含む「新世界の夜」も、『Blood Moon』を代表する1曲だと思う。この「新世界の夜」には、佐野元春が信じ続け、大切にし続けてきた“innocence”と“grace”が息づいている。だからこそ麗しい。「戦争に反対する唯一の手段は、 各自の生活を美しくして、それに執着することである」という吉田健一の言葉を思い出す。

 『Blood Moon』は2015年の、とてももやもやした夏にリリースされた。“気分はもう戦争”なのかもしれない━━でも、うろたえてはいけない。嘆くことはない。『Blood Moon』には、こんな力強いメッセージがしなやかな知性とグルーヴとして脈打っている。