やからどうしのだましあい
dharmash

 人々は、その人生の節目節目で自分自身の死を意識する。其れを意識した際の人々の反応は様々だ。しかし、優れたアーティストとは常に其れを意識して生活し、創作活動を営む人だと私は思う。我々が日常的に其れを意識することは不可能であるからこそ、世の中には優れたアーティストの存在が必要なのだと思う。

 私はコヨーテ作品が世の中に生み出されるその過程において、佐野元春がそのようなアーティストであろうことを強く実感したものである。何故なら彼の息づかいと云ってもよいくらいの存在感が、私の生活としてのLIFEに深く重なる瞬間を幾度となく感じた経験があるからだ。

 其れを敢えて極言すれば、肉体的に彼と対峙できるライヴ空間のほうがむしろ距離感を抱いてしまうくらいの体験であり、その想いはおそらく彼に面と向かって言葉を交わしたところで変わることのない普遍的な真実と云ってもよいだろう。

 改めて、佐野元春くらいのレジェンドになれば、このようなファナティックな輩は世にごまんといることであろう。そんな輩たちに向けて日々創作活動を営む稼業が、たいへんなミッションであることは想像に難くない。我々とLIFEが重なる瞬間において、アーティストの創作活動は成就する。そこで私は己の花道を飾る決意を新たにする。

 私はボブ・ディランのライヴでやけっぱちになり中座するような輩であるが、私のロック・アイコンである佐野元春にはどうか長生きをしてほしいと切に祈るばかりである。いつかどこかで、スキンヘッドに裸足のスタイルでステージに勃つ佐野元春と対峙してみたいものである。サンキュー、ロックンロール♪