佐伯 明
“ポップの戯作者”という言葉を佐野元春の口から聞いたことがある。戯作者とは戯作をする人。では戯作とはたわむれに作った文章、転じて江戸時代の俗文学のことを指す。ちなみにポップはポピュラーから派生した語であるから、大衆的・通俗的という意味を持つ。
佐野の、この重複すら感じる強調表現の裏には“俗”を意識的に作り出すことはしないという思いがあったのかもしれない。その証拠に彼はインタビュー中「僕はポップの戯作者ではない」と言った。
しかし、意識的だろうが自然発生的だろうが、ポピュラリティを獲得できる音楽あるいは表現を生み出すことができる能力は評価に値する。悪いことではまったくないと思う。大衆はいつもそんなに愚鈍で怠慢なのか?という疑問が僕の内にはいつもあるゆえ、いわゆる“売れたもの”にはその時代、その民族、その地域のある大きな真実があると思っているのだ。
売れたという事実の先には、売れたものを受け取った人間の(質までは問えないが)喜ぶ顔があるはずである。研究やリサーチのために音楽を聴く僕のような小賢しい者もなかにはいるかもしれない。しかし好きな音楽を自室で再生した時に、悲しみにくれてしまう人はあまりいないだろう。その時の喜ぶ顔をはっきりと想定しながら創られる音楽は、戯作と形容するだけで片付けられはしまい。
佐野元春はキャリア上、複数のNO.1アルバムを持っている。彼がそのことをどうとらえているかは本当のところはよく知らない。けれども『フルーツ』には聴き手の喜ぶ顔をはっきりと描きながら創っていたのではないかと思わせる感触がある。個人的なことながら、僕は『フルーツ』の中の「恋人達の曳航〜Lovers Sailing」がとても好きだ。僕は『SOMEDAY』までの初期の3枚を大学時代に受けとり何かにつけよく聴いていた。その時に漠然と考えていた“恋人達のこと”や“街のこと”が、ムーディな回想と同時に血肉化された想念と音になって聞こえてくることに顔がほころぶのである。
佐野元春の新しい段階を告げているのだと思う。
佐伯 明