佐野元春が日本の音楽シーンに開けた扉というのは実に沢山ある。それは、明らかにエポックメイキングな出来事であり、歴史の転換点となっている。

 彼がデビューしたのは'80年。ロックは、まだ、カウンター・カルチャーと呼ばれていた時代だ。カウンター、つまり、既成の権威や常識に対抗するという意味だ。

 日本では、ようやく先進的なアーティストが、それまでの演歌や歌謡曲とは違う独自のやり方で市民権を確立し始めていた。でも、彼は、彼らとはまた違った新鮮な眩いばかりの光を放っていた。

 例えば、ボブ・ディランをポップにし、更に加速したようなボーカル・スタイル。“SING”とも“SHOUT”とも“TALK”ともつかないビート感。
ストリートを駆け抜けるようなそう快なスピード感。”日本的”という言葉とは無縁な洗練されたポップ・アートのようなボキャブラリー

 そこで歌われるのはサリンジャーの小説のような都会の少年のイノセンスであり、ビート詩人、アレン・ギンズバーグのようなストリートの鼓動だった。

 それでいてティーンエージャーにア存在

 '80年代は、ロックが十代のメディアとして浸透していった"開花期"でもあった。そのきっかけになったのが佐野元春であることは間違いないだろう。“知性”と“ポップ”を合体させたのが彼だ。

 '83年、彼は、絶頂期に単身ニューヨークに渡り、ストリート・ミュージシャンらと接触しながらアルバムを完成させた。それが'84年に出た「VISITORS」である。

 当時、ニューヨークで発生したヒップホップを消化した日本で最初のアルバム。この一枚だけでも'99年の今、彼がトリビュートされる価値は十分だろう。

 彼にシンパシーを持つ下の世代は実に多い。そんな様子は、彼が主催してきたイベント「THIS」で見た人も多いはずだ。

 来年は20周年。この夏から、そんな区切りの年が始まろうとしている。

田家秀樹