ケン・キージー彼の名は、ジャック・ニコルソン主演の映画『カッコーの巣の上で』の原作者としてよりも、ヒッピー・コミューン“メリー・プランクスターズ”のリーダーとして、死の前にあったニール・キャサディが運転する、サイケデリックな風体のマジック・バス〈ファーサー号〉で全米を巡回し、各地でLSDを用いたアシッド・ショーを行なったという過去から語られることが多い。60年代、ビートニクの精神であった放浪〈バム〉生活に身を投じ、ドラッグによる自己探求を説くことで、自ら「体制を疎外した」その男の姿は、90年代の今も明らかに異彩を放ちながら存在していた。

タイトル:ケン・キージー
インタビュー:佐野元春
掲載号:This Vol.1 No.1 '95




――アレン・ギンズバーグを友人として、また長年の仲間として、どのような言葉で讚えることができますか?

ケン・キージー(以下KK) 彼はビート・ジェネレーションの“偉大なるユダヤ風おかあさん”です。彼がいなかったならば、今までのことはすべて起こっていなかったでしょう。ある意味で彼は、ケルアックやバロウズよりも重要です。詩を書いたり、写真を撮ったりするだけではなく、いつも不当に扱われていた人々の面倒を見てきたのです。私はいつも彼をこうやってからかいます。「君が祈る長さや、何をやっているかは別としても、まぎれもない君はユダヤ人だよ。ありがたいことに!」。そして彼はいつも白目をむいて見せるのです(笑)。彼は勇者であり、おべっかなど一度も書くことなく、40年の間、荒々しく戦い続けてきました。詩は彼が乗ってきた馬であったわけです。

――実は、数日前に出会った旅の途中のライターやアーティストの若者のグループは、自分たちを「90年代のメリー・プランクターズ」と自称していました。あなたと“メリー・プランクターズ”について書かれた本を読んで、ライフ・スタイルを築いているのでしょうね。

KK 昨年の夏も「ラベンダー・トートイス」というバスが近所に乗りつけて、我々のバス旅行を真似ていると言ってました。ただ、彼らが全員ゲイだったという違いはありましたが。そして行き先はニューヨークの万博ではなく、ハリウッドのフレドリックスでしたけどね(笑)。

――今回は当時のバスに乗ってここへ向かって来たと聞きましたが。

KK アイダホまでは順調に来たのです。でも彼女(=バス)は手術を受けたばかりで、まだ傷口もふさがってなかったんです。彼女を連れ出してロッキー山脈を越えようとしたのですが、彼女(=バス)は「もう駄目、ここで寝てチョコレートを食べてるわ」って言ったんです(笑)。我々が急いでいたせいもあるんですが…。

――そこでバスを降り、飛行機に乗り継いだってわけですね。

KK ええ。でも帰りに寄って、彼女(=バス)を連れて帰らなければなりません。

――60年代に憧れる若者が今も後を絶えませんが、どう感じますか?

KK この世紀は60年代抜きにはありえませんでした。一番大切な「事件」だったんです。世界大戦よりも大恐慌よりも。生き延びていくための活動が生まれたのは、すべて60年代からだったんです。マーティン・ルーサー・キング、ベラ・アジグ…彼らはみんな、60年代の音楽やアート、ビデオから始まった活動の一端です。エコロジーの発生だってそうです。グリーン・ピースの始まりは、マリワナが関連していたってことを知っていますか?  1年ほど前にテッド・カペルのTVショーに出る機会があったんですが、それはジェシー・ジャクソンとの会見でドラッグに関する議題でした。司会の女性が最初の主張は、と訊ねたので、私は「ありがとう、とだけ言いなさい」と言ったんです。彼女は「まさかドラッグに賛成なんじゃないでしょうね?」と言うので、「これは議論の場ではないのかね」と私は答えましたがね。私の言ったようなことをテレビで他に聞いたことがありますか? ないでしょう。それは我々が押し出されている側の人間だからです。いつになったら“HIGH PRIDE”の週ができるのでしょう? 我々が行進できるのはいつでしょう? この運動は、この国で起こった他の運動と同じくらいに宗教的なものです。私は30年の間、できるだけマリワナを宗教的に吸ってきました。アシッドやグラスが染色体に害を与えるなんて嘘っぱちです。大統領だって嘘だということを知ってますよ。

――ドラッグによる社会的な弊害があるのは確かだと思いますが。

KK ポーランドのように、売買は禁じるが所持は認めるという法律は有効だと思います。育てられるものだけを手に入れるのです。シンプルでしょう? 共和党の考えはこうです。―刑務所と警官とドーベルマンを十分にしておけば、誰も柵を乗り越えられない。乗り越えようとする者は刑務所へ入れてやる、と。この国では歴史上どの国よりも多くの人々が監禁されているのに、さらにその数を増やそうとしているのです。そして人々からすべてを奪い去った時、残るものがひとつ、それは暴力です。これに対抗するには、ヒッピーの古い物言いですが、許しと忍耐と助けと抱きしめること、そして目を見つめて「良い一日を過ごせよ」と言うこと。お互いを愛すればすべてはうまくいきます。なにもかも解き放つのです。クロゼットのドアを閉めるのにはもう手遅れです。ゲイもマリワナ愛用者もそこらを歩き回っているのです。人々は忍耐強く、すべての声に耳を傾け、許しと愛が最も強力な武器であることを知らなければなりません。

――それが簡単なことだと思いますか?

KK いえ、年々苦労しています。腹が立つうちは、それは自己憐憫の形なんでしょうね。自己を分析するうちに怒りは消え、それでも駄目な場合はジョイントを吸います。

――今回のようなイベントから生まれる一番大切なものはなんでしょうか?

KK 実存主義の再認識です。実存主義を理解しないかぎり、若者は前に進めません。それは我々が前進していった時のステップで、今の若者はまだそこまで行ってません。彼らはサルトルもカミュも読んでません。薄暗い行き詰まりを知らない。しかしサイケデリックはそこから始まっているんです。そこでアシッドをやって、何か他の物が見える、遠いけどなんとか行ってみよう、と思うのです。実存主義を通らない限り、きちんとした基盤はできません。アシッドをやるだけでは駄目なんです。はじめてドラッグをやると、幻覚を見る人たちが大勢います。話し合ってみると、みんな同じものを見ているのです。フロイトのバスルームの夢から作り上げているのではありません。これは我々にあばかれた事柄であって、解釈の仕方を知らなければそれまでです。サイケデリックのイメージは、メッセージなのです。そういえば、大学のころはドラッグをやりながら、みんなヘルマン・ヘッセを読んだものです。『JOURNEY TO THE EAST』はこの道を通る人間には必修本です。我々の行くところへの道しるべの役割をしてくれます。

――現在、オレゴンの農場で暮らしていて思うことはどういうことですか?

KK 我々はこれまでのどの世代よりも、子供たちに多くの問題を残しているということです。生きるのに危険のある水と空気を、ナポレオンやジンギスカンだってこんなことはしませんでした。根本にあるのは愛情の欠如だと思うのです。子供を愛するのに、子供を持つ必要はありません。キリストが幼子のようになりなさいと言った時、それは別に遊び回って玩具で遊べと言ったわけではない。それは世界を新しい目で見なさいということです。濁りのない目で世界を見つめることが重要なんです。

――昨日の会見で、コンピュータ・ネット世代の子供たちのことに触れていましたが。

KK 私の仕事はイルミネーションに向かっているのですが、言語的ステップがわかりません。チカチカする明かりは手に入れたのですが…。しかし、それをどこへ持っていけばいいのかわかれば、彼らははじめられるのです。彼らは今まで会ったどんな子供たちとも違っていました。ヒッピーでもボヘミアンでも、ヤッピーでもない。彼らが誰なのか、私も彼らもわからないでしょう。わかっているのは、彼らが勇者であるということです。時がたつにつれ、私は本物の勇者か偽物かがわかるようになりました。

――あなたもコンピュータに興味を持っていますか?

KK 今回も上演した『ツイスター』の劇をやるために、Eメイルを使いました。そのために17歳以下専用のクラブを見つけたんです。Eメイルは素晴らしい。すぐに参加できるし、生きているのです。オープン・フォーラムの場で、サーキットを何かが伝わり、国のどこかに散らばっている。その名もわからない彼らの温かさに、とてもショックを受けました。クラブのオーガナイザーがついてこれないほどの早さで、彼らはキイを打ちます。我々に可能な10倍もの早さですよ。そして彼らは、あちらでこちらでコネクションをはじめ、生き延びていくために必要な何かを見つけるのです。若さ、そして子供の目を通した新しい世界なのです。

――たとえば、そうした子供たちが無意識にコミュニティを求めていくように、実存的な盛り上がりが始まると思いますか?

KK ええ、とても。ただそれは、意図的に生まれるものではないでしょうね。山への道を訊ねる者は、決して辿り着かない、という教えがありますね。そこには崇高さが必要になってくるんです。求めずして崇高さを身に付ける方法、50年代にケルアックやギンズバーグの影響で禅を知り、クリスチャンの精神でもっても、それが正しいやり方だと思うのですが……それは見せられるものではないのです。

――今からちょうど30年前の夏、あなたはニール・キャサディと一緒にバスで旅行したわけですが、その体験がもたらしたものは何だったのでしょうか。

KK 歴史上の誰よりも、私たちは世界のリングサイドにいたのです。我々はそこで歴史が作られていくのを見ていた。そういう立場で世の中を見ると、何が起こっても悪いカードをひいたという気にならなくなるのです。ひどいと思うことの中にも、そこに何か素晴らしいものがある。これがキャサディの教えてくれた大きなことでした。彼と一緒にいることは、仏陀といるようなものです。本当に彼は素晴らしい人物だった。ギンズバーグやコルソ、ピーター・オロブスキーに聞いても、みんな同じことを言うでしょう。キャサディの心に触れた人間は、みんな変わった。彼は単なる“誰か”ではなかった。我々が求めているものの表明そのもので、運命よりも素早く動いていた。あまり早いので、われわれは誰も彼についていけず、その古い炭坑から掘られたものを、世界はゆっくりとやってきたというわけです。 ――彼はいつも「遅れ」を取り戻そうとしていましたね。

KK 人間が心にメッセージを送り、また頭に戻ってくるまで30分の1秒の遅れがあると言われています。彼はそれを克服しようとしていました。それが可能なら、魔術が使えることになります。出来事があなたに起こるのではなく、あなたが出来事を作る、現在進行の中に自分がいるのです。

 子供たちがかかえている問題を見てください。朝起きて、コマーシャルを見て、そして学校へ行く。クラスでは教師が歴史を教える。本を読んで、たまには映画でも見るかもしれない。家に帰ってテレビを見て、家族は静かにさせておくためにビデオを借りて与える。部屋の中に本が何冊あるか、CDが何枚あるか、ビデオが何本あるか、数えてください。箱一杯の家族の古い写真と何箱もの子供の頃の写真。自分たちの姿を、こんなに複写するのは歴史上なかったことです。誰でもこんなものがそこらじゅうにあります。そして問題は、彼らがそこにいないことです。ビデオを見たり、CDを聞いたりする時。24時間の中で子供たちが過去のものから開放されるのは眠っているときだけです。何でも子供たちと背中合わせで、現在進行形のものはほとんどありません。

――そうした子供たちに、まず必要なものは何だと思いますか?

KK 現実に、彼らは録音されたものや録画されたものに閉じ込められています。しかし、想像してみてください。シェークスピアが執筆をする時、彼は本を書いたのではなく、舞台の上の動きを書いていたのです。これが本になって出版されるなんて、思ってはいなかったでしょう。今の子供たちが欲しているのはこれだと思うのです。  グレートフル・デッドのコンサートに行くと、こうした光景をたくさん見ます。リズム・デビルが出てくるまで彼らはマイクに向かって嬌声をたてるのです。楽しませて欲しいだけではなく、儀式に参加したいのです。この世界の、人生の一部になりたい、それは閉ざされていない儀式に参加することです。それだけはまだ終わっていません。私たちの「ツイスター」は、大部分は書かれたものですが、あるところからはシナリオが書かれていません。我々も見るほうも、どこに行くのかわからないのです。そうすると、彼らはいろいろな声を出して助けてくれるのです。

――〈ジェネレーションX〉たちがビートの文学や精神に影響を受けているのはなぜだと思いますか?

KK それは過去50年で最も真実をついた声だったからです。どうか、ギンズバーグの話に耳を傾けてください。彼は人生の一時一時を最良に使う努力をしてきた人物です。ジョン・アップダイクがやっていることはどうでもいいですが、他にもっと大事なことがあるということです。若者たちにはそれがわかるのです。  しかし我々だって、昔の人々の足跡を追ってきただけなのです。問題は物事の一部になりたいか、それとも受ける立場になりたいか、ということです。私は出来事の一部になりたいと思う。私はコーチではなく、フットボールになりたい。試合のアナウンサーではなく、クオーター・バックになりたい。そして観衆が求めるようなプレイをするのです。黒人のゴスペル教会をご覧なさい。もう、座って儀式をやるのではなくなった。神は座っている人の前に現れたことはありませんよ。立ち上がって、ジャンプをして回り、何かを鳴らして騒ぐ。我々の『ツイスター』はその最初のお粗末な試みですが、これからもっと面白いことが起きてくると思います。参加する若者たちがもっとエネルギーを蓄え、新しいアイディアを生み、チャップリンも驚くような、想像もできない形でね。

――最後にわたしたちにメッセージを。

KK さっきも言いましたが、60年代は終わったのではなく、続いていることを忘れないでください。我々は現在も持続していて、勝ち負けがはっきりするまで戦っているのです。太ったご婦人方がハイになるまで、60年代は続くのです。彼女たちがマリワナを吸うかどうかは本人が決めることだ。けれども意識は我々が高めるのです。ねじれた心で国家を運営してはいけません。外を見て、葉っぱにも意思があるのだ、石にも精神があり、空には血があると言えるようにならなくてはいけません。これは長い過去からインディアンが主張してきたことです。彼らは我々が生き延びるために必要な何かについて目覚めた。人間同士だけでなく、岩にも空にも尊敬の念を持たなくてはならないことを知っているのです。



■メリー・プランクターズ
1964年、ケン・キージーを慕って集まった"陽気なイタズラ者たち"の集団。中心メンバーは当時29歳、<酋長>キジージーと彼の妻・フェイ、ベトナム帰還兵の<副酋長>ケン・バッブス、当時40歳のニール・キャサディ。彼らにマウンテン・ガール、ブラック・マリアなどのニックネームで呼ばれる女たち10数人を加え、カリフォルニア州ラ・ホンダを拠点として共同生活を営み、単なるトリップを超えたアナーキーな精神運動としてのサイケデリック革命を推進するためのさまざまな実験を行なった。原色の派手な蛍光塗料で彩り、特製のサウンド・システムとありったけのLSDを積んだ改造バスでアメリカを突っ切り、その活動を映画に記録。あのヘルス・エンジェルスさえも魅了し、ピースフルに交歓した。その後彼らは、旅で得たヴィジョンを実行に移すべく、アシッド王オーズリーと手を組む。彼の作った最高級のLSDを用い、強力な照明と音響で酩酊を促進、参加する者の意識を開放し知覚の扉を開こうという一連の<アシッド・テスト>を開始する。「テストにパスした」若者たちの中からはアシッド・ロックの元祖グレイトフル・デッド、『ローリングストーン』のヤン・ウエナー、『ホール・アース・カタログ』のスチュアート・ブランドら、後に名をなす多くの人材が出現。どう見ても"フリーキーでドラッグ漬の奇人集団"に映る彼らの行動のひとつひとつが未だ終わらぬ"60年代の"起爆剤」となり、また種蒔きともなった。騒ぎはサンフランシスコを皮きりにカリフォルニア中に飛び火、すぐにも全米に引火した。世に言う<サイケデリア>の幕開けである。彼らの落とし子たるヒッピーのように「コミューン」の中に自閉せず、アメリカン・マインドそのものに向けて彼らが仕掛けた"陽気なイタズラ"の一部始終は、ニュー・ジャーナリズムの旗手トム・ウルフ自身の一冊『クール・クールLSD交感テスト』(飯田隆昭訳/太陽社刊)に見事に活写されている。(北沢夏音)


■「ありがとう、とだけ言いなさい」
近年、全米で大々的に行なわれた反ドラッグ・キャンペーン"Just Say NO!"のもじり。誰かがジョイントを勧めたら「ありがとう」とだけ言いなさい、とキージーは洒落ている。

■『ツイスター
ケン・キージーがナロパで行なったアンチ・キリスト劇。キリストの誕生をパロディ化して、比喩や直喩を縦横無尽に駆使した言葉による現代アメリカの政治状況を投影した仕掛けとなっている。出演者の大半はナロパで募った若者が中心。またアレン・ギンズバーグやデヴィッド・アムラムらの詩人やミュージシャンも飛び入り参加し、ケン・キージーと即興でやりあう一コマもあった。


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