ゲイリー・スナイダー。1930年、サンフランシシコ生まれ。オレゴン、ワシントンの森林地帯で少年時代を過ごす後、リード大学で言語学、人類学を専攻。同校卒業後、きこりや、山林監視員、水夫などに従事する一方、カリフォルニア大学バークレー校で、中国古典を学ぶ。55年、ギンズバーグ、ケルアックらと出会い、後々、ビートニクのライフスタイルに深く関わりを持つ仏教やヨガといった東洋思想を伝える。56年、臨済禅の修業で来日。禅のほかにヒンドゥー教、真言密教、アメリカ・インデアンの神話などに造詣が深く、エコロジー運動の教祖的存在で知られる。59年、最初の詩集「Riprap」を発表。ケルアックの著書「The Dharma Bums」の登場人物ジェフィー・ライダーのモデルとなった。74年に「亀の島」でピューリッツアー賞を受賞。

タイトル:ゲイリー・スナイダー
インタビュー:佐野元春
掲載号:THIS 1994 Vol.1 No.1






――1967年から68年の夏、日本の諏訪之瀬島で過ごした時のことを聞かせて下さい。

ゲイリー・スナイダー(以下GS) さつまいもを植えたり、魚を捕ったり、薪を割って飯を炊いたり、山道を開いて仕事をしたり…基本的に村の生活でした。

――その体験には、どのような意味がありましたか?

GS 日本に行く前から、自給自足の生活に興味がありました。農民や漁民などには、素晴らしい洗練された技術があると思っていましたから。この興味はインディアンとの生活のきっかけにもなりましたし、私自身、農場で育ったので、それなりの技術は持っていました。日本に行った時も、まず農家の幕らしに興味がありました。

 禅寺で暮らすというのは、農家の暮らしに非常によく似ています。僧堂では、自分たちで漬け物をつくり、薪を割り、野菜をつくり、便所を汲みました。日本の農民と全く同じようなことをやったのです。今の日本の若い人はやらないでしょうね。また冬には雪の中を裸足で歩きました。これは禅だけではなく、農民の暮らしだと思うのです。禅の暮らしが厳しいのは、師は弟子たちに貧しい農民よりも楽な暮らしをして欲しくないと思うからです。精神の修行をするのに、贅沢な暮らしをするのは恥ずかしいことという教えにしたがっています。

 私はこれによって日本の昔の百姓の生活をよりよく理解することができました。また世界共通の古来の自給自足の生活というものを味わうことができました。

――あなたの詩には、自然がいかに大切であるかを強く感じます。人々は80年代になって、ようやくメディアが自然保護について取り上げはじめて気がつきましたが、あなたはすでに60年代から作品を通して人々に伝えていました。90年代の今、当時のメッセージがいかに大切であったかと思います。今、自然保護について、具体的に何をされていますか?

GS いくつかあります。全体の問題は社会の繁栄と自然の繁栄と、また個人や企業の要求と自然のバランスを見分けることです。たとえば台湾の漁民の捕獲量と魚の育つ量、またボルネオやインドネシアやブラジルの伐採が自然とどれほどバランスをとっているか。企業や社会の要求と、環境のバランスを取っていくのは非常に難しいことで、もしかしたち不可能かもしれません。世界の資本は巨大すぎて、力量を計ることさえ困難です。

 小さなことから言えば、西海岸の森の保護の問題があります。米国には多くの国有林があります。政府によって管理されていますが、アメリカの法律によると国に属するのではなく、人々のものになっています。イギリスの所有するカナダやオーストラリアの土地は「クロムランド」と呼ばれており、政府に属していて人々に貸したり売ったりしていますが、アメリカでは国民に権利があります。私は西海岸でこの権利と判断権を人々の手に戻す方法を考えています。と言うのは、国林省がこれらの土地から伐採して企業に木材を安売りしてしまっているのです。それが大きな問題となっています。現在我々は、木の測定をし、伐採業の人々や政府の人間と話をして、持続可能な量を計っています。「持続」と「自給自足」の意味について、説明をしましょう。これは環境問題においてよく使われる専門用語で、「自給自足」というのは外から輸入をせずに成り立っていく社会を意味します。自分の胡麻油や味噌を作り、外から現金で買い上げる必要がないことを言います。もう一つの「持続」できる森というのは、伐採をしても持続していくことが出来る量のみを取ることにより、理論的には何千年でも持続していくことが出来る森のことです。充分な木材を取りながら、森を破壊しないことです。

 ですから持続できる農業、持続できる漁業は大切なことです。現在の状況の問題は、全て早く収穫を急ぐために、この持続が出来ないことにあります。アメリカのみならず、世界での林業はあまりにも伐採の速度が早く、充分な量を残さないために持続することが不可能になっているのです。この持続のためにどのような法律を設定するか、また漁業について、国内や国際市場でどのように規制しあうかが問題でしょう。この持続を私の周辺の小さな規模で研究することによって、全米またはアジアなどの大きな規模に当てはめていく試みをしているのです。また日本、マレーシアで行っている熱帯林の破壊を止める運動をしています。それ以外には谷の水脈と水質、また土の質、ワイルドライフの変化、森の管理の法律について研究しています。それからコミュニティの意識や建設についても。これはアメリカ人があまり移動せずに、地元の意識を育てていくということです。

――国の単位で自然保護を考えていくときに、魚を何匹取ったらいいのか、また森の木を何本取ったらいいのか、誰が決めるのか僕たちは決めかねているのだと思います。政治家には任せられないような気がします。サステイナブルな思想は正しいと思いますし、小さな単位で活動をしているあなたを心から尊敬していますが、実際誰が決めていったらいいのか、これが僕の大きな悩みです。

GS 昔の日本では誰が決めていたと思いますか?

――実際に木を伐っているきこりであり、農村の農民が自分たちの節度の中で決めていったと思います。

GS 私はそうでないと思います。村というものがあり、年奇りたちがいて、森や丘は個人のものではなく村のものだったはずです。村の集会で決めたのだと思います。イギリスでもイタリアでもそうです。これは長年の知恵を祖先から習ったもので、森の様子をみてどのくらいの木を伐って良いのか判断を下しました。これが伝統的なやり方でした。

 さて、答えですが近代ではそのことについて熟知している者がやるべきです。林学や魚学を習った人々の知識は貴重なものです。持続についてはまだ学び続けています。環境については新しい情報が毎年出ています。理想的にはこのような学者と現地の経験を持った人々が一緒に働くことが必要だと思います。

 これは大変良い質問だと思います。誰が決めるのか、そして誰が誠実であり続けるのか。人々は権力に屈してしまうことが多いのです。実際このボールダーの郊外でも、牧場について論争が起きています。これまでこの辺の公地では小額の報酬で放牧が行われてきましたが、過刺になってきたので、牛の数を減らそうという試みがあります。小さなことですが、こうした問題をひとつひとつ解決していくことが大切なんです。


ボールダー
アメリカ、コロラド州ボールダー地域の総称。文学運動としてのビートの研究を進める機関、「ナロパ・インスティテュート」の本拠地。美しい自然と全米一リベラルな町として知られる。このインタビューもここで収録された。


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