02 | 戸惑いと称賛 ─ ビジターズの波紋
1984 -1985



 1983年5月、佐野元春は新しい音楽の形を求めてアメリカへと旅立った。そのちょうど1ヶ月前に発表されたコンピレーション作品『No Damage』は、佐野元春が不在にもかかわらず初のNo.1ヒットを記録。これによって彼に対する評価と期待は日増しに高まり、新しい作品が渇望されるようになっていった。

 84年3月、約1年間のNY生活を終えて帰国した佐野元春は、まず翌月4月21日に1年ぶりとなるシングル「トゥナイト」を発表する。このシングルはNYへ旅立つ前の佐野元春の作品の延長線上に位置するものであったため、新作を心待ちにしていたファンに安心感を与えた。

 しかし、その安心感は一時的なものに過ぎず、その1ヶ月後に発表される約2年ぶりとなるオリジナル・アルバム『VISITORS』で、想像できないほどの衝撃を食らわされることになるとは、この時点ではまだ誰も知らなかった。

 

 大きな期待をもって迎えられた、佐野元春待望のニュー・アルバム『VISITORS』は、84年5月にリリースされた。およそ1年にわたるNY滞在の間に練り上げられ完成をみたこの新作は、誰も予想することができなかった内容で、佐野元春の作品を聴いてきたリスナーのほとんどが、戸惑わずにはいられなかった。

 アルバムのトップを飾る「コンプリケーション・シェイクダウン」は、当時、アメリカでも発生したばかりの手法であり、当然日本では誰もやろうとさえしていなかった“ラップ”を取り入れた楽曲だった。しかも、「コンプリケーション・シェイクダウン」と同様の、ヒップホップの手法が用いられた曲がアルバムの大半を占めていた。そして、何より驚かされたのが佐野元春自身の歌唱法の変化だった。

 当然のことのように、『VISITORS』の評価は賛否両論に分かれることになる。新しいヒップホップ・カルチャーにいち早く注目していた音楽ファンには拍手をもって迎えられた。そして最初は戸惑っていたファンも、生まれたばかりの“ラップ”を完全に消化しきっていたその内容に次第に理解を示していった。

 

 とはいえ、ヒップホップ・カルチャーとともに育ってきた若者が当然のことのように自然に取り入れたその音楽をようやく聴けるようになったつい最近まで、このアルバムの波紋は静かに広がり続けていたのかもしれない。

(池田聡子)



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