01 | 『BORDER』 ─ 佐野元春トリビュート・アルバム
1995-1996



 あるアーティストへの敬意を込めて、さまざまなミュージシャンがそのアーティストの曲をそれぞれの解釈に基づいてカヴァーした、いわゆる“トリビュート・アルバム”が一般的に知られるようになって、もう10年以上になる。

 これまでに作られたそうしたアルバムの数は、100をはるかに越えるだろう。しかし、内外で発表されたそれらの作品郡は、当然のことだが、いいものもあればつまらないものもある。なかには何を考えているのかわからないようなひどい演奏もあって、これでは賛辞というよりは悔辱ではないか、と思ってしまうことも少なくない。

 1996年に作られた佐野元春に対するトリビュート・アルバム『BORDER』は、山と積まれたこの種のアルバムのなかではまちがいなく玉石混淆の“玉”の方だ。

 収められているのは10アーティストによる10曲。グルーヴァーズの「ニュー・エイジ」は、ルー・リード作の同名異曲があったことを思い出させる力強いロックンロールに仕上がっているし、グレイト3による「サンチャイルドは僕の友達」の暗い情感に満ちた演奏には、批評性に満ちた独自の解釈がうかがえる。ヒートウェイブの「君を連れてゆく」で山口 洋は、それがまるで自分が書いた曲であるかのように、あるいはヴァン・モリソンの曲であるかのように、真剣にうたっている。

 Hal From Apollo'69による「サンデイ・モーニング・ブルー」の“テクノ・ヴァージョン”には、テクノにはめずらしい美しい叙情が浮かび上がるし、このアルバムのプロデューサーでもある佐藤奈々子の「99ブルース」も、繰り返し聴きたくなるような、抗しがたい魅力がある。

 佐野元春がソングライターとして並々ならぬ才能の持ち主であることは、いまさら言うまでもないが、このアルバムに収められたさまざまな歌と演奏を聴いてあらためて感じるのは、彼の曲が持つイマジネーションの豊かさだ。佐野元春は、われわれが考えているよりもさらにもっと優れたソングライターなのかもしれない。そのことを、このトリビュート・アルバムに参加したアーティストたちは口々に主張している。

●参考資料
「Border」に寄せた奈々子メッセージ
「Borderサイト」

(山本智志)


appendix:プロデューサー佐藤奈々子について

 このアルバムについて、補足があるとすればそれはアルバムのプロデューサーとしてクレジットされている佐藤奈々子の存在だ。企画・制作からアーティストへの交渉までの一切を彼女がとりおこなっている。

 発売に至るまでの経緯はけっしてたやすくはなかった。佐藤奈々子は、このトリビュート・アルバムは佐野が所属するエピックレコードからリリースされるべきだと考え、交渉にあたった。ところが当時、エピックレコードはこのアルバムの企画に興味を示さなかったために、企画自体が流れかけてしまった。それを伝え聞いた佐野は激怒し、レーベルへの不信感を露にしたという。結局、佐藤奈々子は別の販売ルートをさがして奔走した後、バウンス・レーベルというインディ・レーベルからのリリースが決まった。

 このアルバムの帯に付された宣伝コピーにはこう記されている。
「虹の上しか歩いちゃいけない。M.LIONが教えてくれた。」

 “LION”とは、かつて二人が若きアーティスト・カップルだった頃、彼女が佐野に命名したニックネームだ。宣伝コピーは佐藤奈々子自身が書いた。

 佐野元春トリビュート・アルバム『BORDER』を世に出した意図について、彼女はこう語る。

「彼の15年間の音楽の軌跡を振り返り、若きfollowersによる、氏に対するlove&respectから生まれるトリビュートを企画した」

 佐藤奈々子がこのトリビュートアルバムの実現に使命を燃やした理由はつまり、佐野が一貫して歌い続けてきた美しい「痛み」を抱く若者たちへのメッセージを次世代につなげていこう、ということにあった。結果このアルバムは、佐野にとっての絶えまない理解者である彼女からの最高のプレゼントとなった。

 紆余曲折を経て、佐野元春トリビュート・アルバム『BORDER』は我々音楽ファンの元に届いた。このアルバムはプロデューサー佐藤奈々子の情熱がなければけっして実現しなかっただろう。

 



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