言霊『Coyote』
DANCES WITH WOLVES / 柴口勳

 予期しなかった事だ。この旅路が齎したエモーションとショックを予見出来なかった。僕は得体の知れない半獣人に抱きとめられ、雷雨に打たれ、そして泣いた。恵みの時は訪れた。

 ここに至るまでのコヨーテを振り返るなら、「辿り着くといつもそこに河が横たわっていた」所まで僕は遡る。コヨーテはそう悲しくはなかった。むしろ幸せだった頃の季節だ。が、コヨーテは愛する者のその人生が「間違いじゃない」と伝える為に「七色の橋を作り河を」渡ってしまった。その先で「みぞれが道を塞いでも、向かい風が吹いて来ても、この気持ちは変わらない」と信じた。やがてコヨーテは独立をし、そして耳にしたのが「夢を見る力を、もっと」と云う祈りだった。

 この壮大な以前の物語を経て、幕を明けるのが『Coyote』と云う12篇のシーケンスからなる57分16秒のロードムービーだ。

 佐野元春は『THE SUN』で「全て出し尽くした」と云った。そう、確かにその前作はキャリアに於いても紛れもない傑作だと想う。が、僕に限って云わせて貰うなら『Coyote』はその場所を超え空へ羽ばたいた。やがて舞い降りた場所は、海だった。エンディングを迎えると、打ちのめされた(叩きのめされた?)コヨーテはヨロヨロと海を目指していた。死臭すら漂わせながら、それでも懸命にコヨーテは生きようと。彼はこれ以上の進化を拒み、死を横目でやり過ごし、誕生へ還ってゆく。この地上の生命は何処から来て何処へ往くのか?…海を目指すコヨーテのスピリチャルな旅路に僕が見るものは、生物の進化から生命の起源への回帰である。

 これらの物語は歌詞カードを読んでも半分も見えては来ない。それはそれで然る事ながら、言葉の聴かせ方(響かせ方)たるや…メロディメーカーとしての開眼、そして本作を貫くボーカルの「凄み」。音程が外れたとか、音域がどうのとか、クソ喰らえだ(そんなモノサシで測れない唄声が胸の奥まで伸びて来て、魂を掴み出されてしまうのは僕だけに過る妄想だろうか?)。この行間を聞き手に預けるソングライティング。唄われてこそ、奏でられてこそ、露になる世界。もはや僕にとって『Coyote』は “言霊のアルバム” と云うしかない。だからこそ僕は「ここから先は勝利あるのみ」とは勝利を掴んだ者の格言などでは決してないと、そう信じて止まない者の悲痛な祈りなのだと気づけるのだ。

 20年余り、佐野元春のファンで在り続けた。僕が生きた人生のおよそ半分に彼の唄は流れ続けた。楽園を目指しながら僕は荒れ地を歩き続けた。僕は今日ほどその事を誇りに想った日はない。例えその完成度に於いて『THE SUN』に一歩譲るのだとしても、『Coyote』こそが僕のサウンドトラックで、だから僕は『Coyote』こそが佐野元春の最高傑作だと結びたい。


- 追補 -

 僕が知る限り。コヨーテはこの世界の奥地に生息しています。隠れたがりの性質も手伝い人目に触れることはマレです。コヨーテは家畜を襲うこともありますが、シカ、ウサギなどを主食とします。また魚や昆虫、野菜や果物、野イチゴやメロンまで喉を通すとされます。コヨーテはあまり群れません。単独、或いはペアで行動します。スタミナに優れ、また嗅覚、視覚、聴覚を連鎖して使う特性を持っているため、荒野は勿論、大都市周辺において生き残ることが可能です。コヨーテは夜になると甲高い声を震わせて遠吠えをします。コヨーテと云う種名の由来は「歌う犬」とされています。