『Coyote』荒地に刻まれた青春と成熟の轍
中川智嗣

 「佐野元春」という1人のミュージシャンの名前は、ある一定の世代にとってアイコンとも呼ぶべき、言わば代名詞であり続けて来た。

 現在も彼の音楽を熱心に聴き続けている古くからのファンにとってはその名前は現在もリアルに響いてくるものであろうし、若かりし頃に彼の音楽に衝撃を受けたものの、現在は熱心に彼の音楽を聴く事の無くなった多くのかっての熱心なファンにとっては、ある種甘酸っぱいノスタルジーを伴って響いてくる名前なのだろうと思う。

 彼らにとって「佐野元春」と言う名前は、ただの1人のミュージシャンの名前として片付けられるものでは無く、それは 自身の10代、20代の反抗、怒り、悩み、恋やその無防備な生き方や、その思い出の全てを総括する存在なのだろうと思う。

 『SOMEDAY』という曲はその彼らの10代、20代という一瞬の季節そのものを1曲に全て封じ込めた様な、現在に至るまで奇跡の様な曲であると言える。誰それからの引用等といった曲にまつわる数々の非難や中傷は全く的外れである。あの曲は曲の良し悪し等の次元で評価するべきものでは無く80年代前半のあの時代の気分や雰囲気が生んだ、ある世代にとってはノスタルジックな象徴そのものであるからである。

 さて、あれから20数年、佐野元春は生き続けて来た。チャートから完全に消え去る事も無く、作品の出来、不出来の波は大きいながらも自身の衝動の赴くままに、時としてポピュラリティの無い音楽でさえも発表し続ける事が出来た。ファンが本質的に求め続けてきたSOMEDAYの残像を彼らの期待を、意図的にかわしながら裏切り続けて来たにも関わらずである。

 彼ほど幸せなミュージシャンも稀有であろうと思う。絶頂期の音楽性を捨て去る事で急速に失速していったミュージシャンが多い中で、佐野元春だけは急速に失速する事もなく、派手さは無いながらも生き伸びた。

 さて、この新作『Coyote』であるが、この25年の彼の真摯な自身を求道する姿勢と、ファンの望んできた来たものとが90年代以降最も幸せな一致を見た唯一の作品とも言える仕上がりである。10代、20代のノスタルジックなムードも漂わしながらも、成熟した大人の世代の視線も持ち得た作品となっているが、それ以上に彼の今の年齢に相応しいフレッシュなムードがアルバム全体に漂っている。つまり、成熟した視線と青春の煌きが、過去の作品の様に居心地悪気に同居する訳でも無く、1枚のアルバムの中でトータリティを損なわず絶妙なドラマ性を持って配置されている。

 このアルバムは正に、実年齢の佐野元春が作り上げた同時代性のあるアルバムであり、80年代のアイコンという形容詞を一切不要とする、実にリアルで等身大のロックアルバムであると言える。メロディメイカーとしての魅力は初期のアルバムには遠く及ばないが、実に滋味に富んだメロディがアルバム全体に溢れており、彼の新たなピークを予感させる傑作と言えると思う。

 佐野元春の真の復活をここに告げるアルバムである。