「今」を生きる者に捧ぐバイブル『Coyote』
k_caoru

『Coyote』を聴く。

1回目。
発売日前日に手にしたまま13日になり、何とか時間をやりくりして、やっと聴いた。魂の奥深く沈殿した澱が一瞬撹拌されそうになって、堅く殻を閉ざす。

2回目。
オーディオで聴くのを躊躇し、PCのドライブにそっとしのばせヘッドフォンで聴く。とかく音量を上げることが出来ないまま。

3回目。
夏至が近付く短い夜の真ん中で、ベッドに潜り込み、iPodで聴く。誰かが家の中で、コトリと音を立てても気付かないほど音を上げ、ヘッドフォンに両手を添えて。

星空の中に浮いた。上も下も無い星空に浮いて、聴いた。心の奥、記憶の奥深くでマグマのように煮えたぎったり、高い山の氷河のように冷え切っていた澱が、ゆっくりと加速しながら、撹拌されて行く。

あぁ、そう。
こんな言葉を、こんな気持ちを、聴きたかったんだ。

熱いものと冷たいものが、撹拌され、ゆっくりと人肌の温もりになって行く。

とろけて、ながれて、ゆっくりとみたされてゆく、コウフクカン。
きざみこまれた、beatはアタマのなかで、ジドウサイセイ、されてゆく。

嗅覚の優れたアーティストが、目の前の現実に強くコミットして行けば、辿り着く答えはその時代を生きている者全てに響く。形や場所や立ち位置が違えど、誰の心にも響く。聴いた者同士が響き合い、まだ聴いていない者の心をノックすれば、その響きは波紋のように広がる。そんな風に響き合って行く内に、その作品に込められたメッセージは更に増幅する。共振して行くからだ。

こんな、息をするのにも疲労困憊する世の中、生き抜いてゆく為に必要なものと無駄なものを区別させてくれる作品が、他にあるだろうか。

『Coyote』は、この世界をサヴァイバルする為のバイブルだ。