Moto's Wire INTERVIEW | File 09

河野哲郎 Portrait 河野哲郎

Interviewer : 吉原聖洋

  ─初めて佐野元春の音楽と出会ったのは?

河野 吉祥寺のレコード・ショップに『バック・トゥ・ザ・ストリート』のアルバムが並んでいたんです。だから、1980年の春。僕がまだ18歳のときですね。そのモノクロのジャケットが気に入って、買ったんです。

─では、いわゆるジャケ買いですか?

河野 そういうことになりますね。それまでは佐野さんの曲を聴いたことがなかったはずなので。

─そのアルバムを聴いたときの印象は?

河野 未だにファンだということは、かなり強烈な印象だったんでしょう(笑)。当時はテクノ・ポップが流行っていたんだけど、僕はどうしても好きになれなかったんですよ。だから僕はシックスティーズの音楽を聴いていたのですが、そこに登場したのが佐野元春だったわけです。だから、僕にとってはまさに救世主でした。

─それ以前から60年代のポップ・ミュージックなどは聴いていたわけですね。

河野 ええ。その後、「サウンド・ストリート」を聴いて、佐野さんの音楽的なルーツを知ることになるわけですけど、僕が聴いていたものに近いんです。だから「ああ。やっぱり佐野さんもこういう音楽が好きなんだ」と思って、うれしかったですね。アルバム・ジャケットとの出会いから始まったものが繋がったような気がしたことを覚えています。

─音楽に限らず、興味の対象みたいなものが似ているのかもしれませんね。

河野 いや、非常に僭越なんですけど、僕はそういうふうに感じています。もちろん音楽が良いことは大前提で、僕もそれでファンになったわけですが、それも含めて佐野元春という人の趣味やセンスやスタイルが僕を惹きつけたんだと思っています。

─ライヴもずっとご覧になっていますか?

河野 初めて観た“ロックンロール・ナイト・ツアー”以降、ツアーのたびに一回は観ています。佐野さんのライヴは自分自身を確認するために行っているような気がします。「うん。佐野元春は何も変わっていない。俺もまだ大丈夫だ」という確認のために観に行っているんじゃないかな。20周年ツアーの武道館公演では久しぶりに「ロックンロール・ナイト」を聴いて、不覚にもうるうるしてしまったのですが、そういうことで自分自身を確認しているのかもしれません。

─ライヴに限らず、佐野元春にはアルバムを作るたびに音楽的な変遷がありますが、それについてはどう思われますか?

河野 僕はまったく気にならないです。『ビジターズ』以降、さまざまな音楽的変遷があって、「佐野元春はどこへ行ってしまうのだろう?」という声もありましたが、僕は全然気にならなかった。だって、核になるものはまったく変わっていないわけですから、心配することは何もないと僕は思っています。

─そういう意味では、河野さんの作品の場合も核となるものは常に変わっていませんね。

河野 そう言ってもらえるとうれしいですね。僕の場合はひたすら自分を信じて描いているだけなのですが、それは佐野さんに教えてもらったとても大事なことのひとつだと思っています。

─そして、河野さんの絵にはいつも音楽と物語がある。それも佐野元春との共通点のひとつだと言えるかもしれません。

河野 個々の作品でもそうですが、全体のイメージでもそう感じてもらえてるとしたらとてもうれしいです。もしも僕が音楽をやっていたら「佐野元春のフォロワー」なんて言われていたかもしれませんね(笑)。

─ところで、河野“ハニー・チェリー”哲郎という有名なミドルネームの由来は?

河野 ああ、それは僕が「ダウンタウン・ボーイ」が大好きだったからです。ある日、ミドルネームを付けようということになって、僕は「ダウンタウン・ボーイ」の一節から“ハニー・チェリー”を借りてきたわけです。佐野さんに無断でお借りしてしまったので、いつかお詫びしなきゃいけないと思っているのですが。

─では、最後に佐野元春へのメッセージをお願いします。

河野 いつか佐野さんと良い形でコラボレーションが出来たらいいなぁ、と思っています。その時は、ぜひよろしくお願いします。
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