彼らが愛するものは自由、求めるものは平和 
渡辺 亨

 “彼らが愛するものは自由、求めるものは平和”━━こんなフレーズが織り込まれたナレーションで始まるテレビ・ドラマが、かつて日本で放映されていた。僕がまだ少年だった1960年代後半から70年代前半にかけてのことだ。

 当時「テレビ」はまだ若く、そして「ロック」も若かった。つまりどちらも新しいメディアであり、無限の可能性を秘めていた。よって両分野のクリエイターたちは、各々が手探りでさまざまな方法を試しながら、新しい作品を創り上げていた。そんな自由な発想に基づく新しい表現によって、新たな扉が次々に開かれていた時代が、1960年代後半~70年代前半である。だからこそテレビ・ドラマであれ、ロックであれ、この時代に創り上げられたものは、未だに古びていない。

 『MANIJU』の主な音楽的レファレンスは、そうした60年代後半~70年代後半のフォーク・ロックやサイケデリック・ロック、ニュー・ソウルなど。そしてリリックには、50年代後半のビート詩のスタイルとスピリットが受け継がれている。ただし、これらの当時においては新しい音楽的あるいは文学的表現方法は、伝統としてそのまま取り入れられているわけではなく、モダニズムやテクノロジーのフィルターを通され、最終的には2017年の現実の空気をまとったロックとして構築されている。よって『MANIJU』は、いわば“モダン・クラシック”といえる。“クラシック・ロック”ではなく、“モダン・クラシック”のロック。もちろん、このモダン・クラシック作品は、佐野元春のリファレンスへの深い理解と愛情、そしてリスペクトがあったからこそ生まれた。

 ところで、すでにお気づきの方々もいるだろう。冒頭で触れたテレビ・ドラマとは、『キイハンター』である。スタート時はモノクロ放送だったこの『キイハンター』で、元フランス情報局諜報部員の役を演じていたかっこいい女優は、今年6月に亡くなった野際陽子。もちろん当時は、彼女も若かった。そんな野際陽子さんの死をきっかけに、“彼らが愛するものは自由、求めるものは平和”という一節を思い出した次第だが、どういう事情があったのか知らないけれど、前出のフレーズはある時点から“彼らの求めるものは自由、願うものは平和”に変わった。がしかし、僕としては、オリジナルを尊重したい。「自由」には、“求める”より“愛する”といったより大きな心が込められた言葉の方がふさわしいと思うから。そして僕は、『MANIJU』を聴いて、このオリジナルのフレーズを改めて胸に刻もうと思った。

 たいへん残念なことに、現在は不穏な時代であり、ますます不寛容な社会になりつつある。なぜか僕たちは引き裂かれ、分断されている。現にインターネットの世界には、立場はどうであれ、他者の過ちを咎める言葉があふれていて、シニズムが充満している。こんな時代に「純恋」や「新しい雨」、「マニジュ」といった曲に出会えたことが素直に嬉しい。なぜならこれらは、シンプルで優しく、しかもポジティヴな言葉で綴られた歌だから。 

 今から約40年前に「(What's so funny 'bout) Peace, Love, and Understanding?」━━“平和と愛とお互いが理解し合うことの何がおかしいんだ?” と歌った英国人シンガー・ソングライターがいる。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に参加しているブリンズリー・シュウォーツが率いていたバンドで活躍していたニック・ロウだ。長い間秘密にされてきたが、そのニック・ロウと同じく、どうやら佐野元春も、キイハンターのメンバーだったようだ。