〈2015年の日本で機能するブルース〜ロック〉と言いたい『BLOOD MOON』
ダイサク・ジョビン

 『BLOOD MOON』。書きたいことがいっぱいあるので、全曲レヴューのスタイルでいきます。全体的に言うと、2015年の現在、この日本に住んでて日本語がわかって音楽が好きだったら、決して聴いて損は無い作品ですよ、聴いたら誰もが何かしら感じるところがあって、聴いて良かったと思うんじゃないかな、と。音楽という枠を超えてアート作品としても問題作、重要作、衝撃作と言える内容ですよ、と言いたいです。

 グルーヴィーでメロウなサウンドが気持ちいい“境界線”は、自分がいま立っている現状を冷静に観察し、〈♪境界線を越えていこう〉と次へのアクションに移る決意を歌ったこの作品の幕開けに相応しいナンバー。〈♪感じたままのど真ん中を くぐり抜けてゆく〉というパンチラインにグッとくる。

 2曲目はアルバムのタイトル曲であるミドルテンポのロック・ナンバー“紅い月”。ビートの利いたリズムに乗せて、歌の主人公は〈♪夢は破れて すべてが壊れてしまった〉〈♪痛みも感じないよ〉と強い表現でタフな現状について語りつつも、〈君〉に向けて愛情を持って自分の決意や意志を伝えるテンダーな言葉たちに救われる一曲。

 アコースティック・ギターの弾き語りで始まる、マンドリンも効果的に使われたフォーキーな“本当の彼女”は、元春ならではの、街のある女性をスケッチした短編小説風のナンバー。周りに誤解されがちな個性的な女性に対して、〈♪ただこの街に まともでいたいだけ〉と理解と共感を示すこの曲にも彼独特な優しさが表れていて、ぬくもりのあるアコースティック・サウンドと慈しみに溢れた歌唱も相まって心洗われるような感覚を受ける。

 “バイ・ザ・シー”は、コヨーテ・バンドの新機軸と言える。ラテンのリズムに合わせてラップ的な歌唱を聴かせる手法が真新しく、Aメロではより直接的な言葉で困難な日常に言及しながら、Bメロでは一転して日常の何もかもを一旦は置いておいて海で静かに過ごそうと提案する。この悲観から楽観への急転回がラテンのリズムと見事にマッチしていて、聴く者をまるで映画の場面転換のように一気に瞬間場所移動させる描き方が見事だ。

 この『BLOOD MOON』の特長としてタイトなバンド・サウンド……歌も含めてサウンド全体が一体化した、ひとつの塊として爆発力を得ているといった点が挙げられる。この“優しい闇”もそんな特長がよく出たナンバーで、無駄の無い、スキの無いアンサンブルによって、ドラマティックで感動的なサウンドスケープを作り上げている。歌の主人公は夜だけが持つ独特な自由の感覚を享受しつつも、〈♪なんだろう ひとはあまりに傲慢だ〉と現実で数々目にする不正義や悪意に対しての疑問を忘れることはできない。

 レコードで言えばA面ラストを締めくくるであろう“新世界の夜”。美しいメロディーと美しいサウンドに乗って、曇り無くピュアな印象を受ける抑制的かつ客観的な歌唱で淡々と歌われる〈新世界の夜〉とは、とても暴力的で欲望が膨れ上がった決して美しく無い世界。この極端な対比の表現方法がリアリティーを伴って我々聴く者の奥の奥にまで浸み込んでくる。

 レコードで言えば、B面のスタートとなるであろう“私の太陽”。アフロ・ファンク+ダブ/レゲエ的な重心の低いビートと、不気味で不穏な世界を現出させる上モノの音たちがタフな現実世界を表現しているかのような、この曲もコヨーテ・バンドの新機軸と言える意欲的な一曲。この先の見えない世界を〈♪壊れたビートで 転がってゆくだけさ〉と自身に言い聞かすようにリフレインするヘヴィーでダークな印象を受けるナンバーだ。

 “いつかの君”はビートの利いたロック・ナンバー。過去に背負っていたさまざまな想いを全て投げ捨てて、自分のペースで自分の思うようにやっていけばいいさ、という吹っ切れた思いを歌う。鬼気迫るドスの効いた歌声もあって現在のブルースとも言えそうなナンバーだ。

 “誰かの神”はファンキーでソウルフルでヘヴィーなロックチューン。ここでは〈聖者を気取る人〉に対して、容赦無く皮肉たっぷりにラップ的歌唱法で異議を申し立てている。ここまで攻撃的な元春も珍しいんじゃないかという、痛烈、痛快な一発。

 畳み掛けるように攻撃的なナンバーが続くが、コヨーテ・バンドの表現力が飛躍的に凄味を増していることが確認できる曲たちと言えるだろう。前曲に続くヘヴィーでファンキーなチューンである“キャビアとキャピタリズム”は、ある意味このアルバム中一番の問題作/衝撃作とも言える。バンド全体が一体となって作り上げる腰の強いファンクのリズムに圧倒されつつ、怒りを込めたドスの効いた歌声によるラップ的歌唱法で、明確な敵に向かって徹底的に告発しまくる姿はプロテスト/カウンター・スピリットに満ち溢れていて強烈な印象を受ける。

 『BLOOD MOON』の特長として、どの曲も3〜4分の短いナンバーとなっているところが挙げられる。まさしくドーナツ盤(シングル・レコード)的なロックンロール・ロール・ナンバーたち、といった印象を受ける。“空港待合室”は静かなイントロダクションで始まるが、突然歪みまくったエレクトリック・ギターがリフを刻むワイルドでラフなリズム&ブルース・ナンバーに転調するところがやたらとカッコいい。凄まじいグルーヴと野蛮なサウンドとともに言葉たちが乱反射してさまざまなイメージや事象の断片が踊り舞う混沌とした世界の中、〈♪笑うにはまだ早すぎる〉と虚無的に口ずさまれるところが最高にロックしてる瞬間で、文句無しにクールで超カッコいいです。

 さて、このさまざまな世界を描いた多面的なイメージを表出させるとてつもなくドープな衝撃作『BLOOD MOON』のラストを飾る曲が“東京スカイライン”。静かにゆっくりとしたテンポで壮大なランドスケープを描き出すサウンドが黙示録的な世界を浮かび上がらせる、まさしくひとつの映画のエンディング・テーマ的な雰囲気を持ったナンバーとなっている。歌の主人公は恐らくお台場あたりの東京湾に架かる橋の上のハイウェイで車を走らせながら、目に映る光景と現実世界から受けた感情や記憶の心象風景を二重写しにしていく。そして、さまざまな想いが次々と心の中に去来するなか、海から見た東京の街のスカイラインを眺めながら、〈♪この街の夏が過ぎてゆく〉と夏特有の、動物的な時間の流れを感じている……。う〜ん、頭の中にくっきりと映像を喚起させる、凄い余韻の残る鮮烈なエンディングです。なんか上手く言えないけど、〈後は自分で考えてくれ、自分自身で決めて進んでくれ〉と突きつけられたかのような……。

 と、個人的な感想に終始して長文を書き連ねてしまいましたが、『BLOOD MOON』は他の元春作品と同様に、聴けば聴くほど新たな発見があったり、新たな示唆や気づきがいっぱいあるので、この夏はじっくりと何度も何度も聴き込んでいきたいと思います。



※ このテクストは、音楽レビューサイト「MiKiKi」のシニア・レビュワー、ダイサク・ジョビン氏による評論「佐野元春の衝撃的な新作『BLOOD MOON』を含めて、コヨーテ・バンド三部作を聴いて思ったこと」からの一部抜粋です。『COYOTE』(2007年)、『ZOOEY』(2013年)のレビューを含む完全版は以下に掲載されています。

 

■コヨーテ・バンド三部作を聴いて思ったこと
text=ダイサク・ジョビン
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