神秘を感じる事
栗山ラムネ

 平日の昼間、僕は友達の部屋で始めて佐野元春を聞いた。当時、僕は虐められていて、対して、仲良くない友達はクラスでは浮いた長身のハンサムだった。

 それから暫くして、彼は確か転校して、僕は苛めっ子を一人ずつ殴っていった。そんな中学時代を過ごした後、東京で20代を過ごし、仕事はアシスタント・ディレクターになり、佐野さんの神戸でのクリスマス・コンサートに映像スタッフとして参加した。

 コンサートの前には曲を覚えないと仕事にならないので、僕は機材車の中や自宅で繰り返し繰り返し彼の音楽を聴いた。

 仕事で、担当するミュージシャンの曲を聴くと、大抵は終わる頃には食べ飽きるように嫌いになっているものだけど、佐野さんの音楽は僕の中で常に新鮮で食べ飽きる事はなかった。

 ある日、木場にあるスタジオで衛星放送用のスタジオ・ライブを撮影した時、彼の職人のような雰囲気が印象的だった。今にして思えば僧侶のような雰囲気だった。

 それから会社を辞め、鈴木正文氏に「フィアットパンダ」の短編を持ち込み、二玄社にある編集部で数分時間を頂き面談するも仕事にありつける事はなく、様々な仕事を転々として、僕は占い師として生計を立てるようになった。

 そんな時、昔在籍していた会社のプロデューサーが、佐野元春さんがビート文学について語っていた事を思い出し、ケルアックの「路上」を読んだ。

 暗闇から星を眺めるように世界を生きていたような人生と佐野さんの音楽が重なり、浄化されたような気がした。

 月日は流れ、山川健一氏の主宰する小説塾に入り、コンペを勝ち抜いて僕の小説が短編集に乗り、アマゾンで販売された。

 自分の小説のタイトルをアマゾンで眺めていると、無性に佐野元春が聞きたくなりSpotifyで『マニジュ』を聞いた。

 彼の曲を聴きながらネット検索をしていると、鈴木正文さんが佐野さんの『マニジュ』についてインタビューしている記事がヒットした。

 そのインタビューの中で佐野さんは「曲は作る事は神秘だ」と話していた。僕と佐野さん、鈴木氏の細い繋がりも神秘そのもので、心の中に音楽が鳴るというのはこういう事なのだと理解した。

 アーティストが発信した音楽がリスナーに届き、僕の中で確実に鳴り、人生を振りかえるとその音楽は確かに鳴り響いている。それは僕にとっては魔法で神秘体験そのもののような感動で、それが僕にとっての佐野元春で、そして『マニジュ』というタイミングだったのだ。

 僕の人生に佐野元春がいて良かった。