MWS●アルバム『ザ・バーン』は、ザ・バンドをはじめとする70年代の良質な米国ロックに敬意を表した作品になりました。プロデューサーにジョン・サイモン、レコーディングは、ウッドストックにあるベアズビル・スタジオ。徹底していますね。
佐野●前のバンド、ザ・ハートランドが解散して、その後、『フルーツ』のレコーディング・セッションを通じて、ザ・ホーボーキング・バンド(HKB)のメンバーに会った。彼らは皆、プレーヤーとして成熟していたし、このプレイヤービリティを最高に生かした、しかも日本じゃ今まで誰も奏でられなかった最高のバンドサウンドを創りたかった。そこでプロデューサとして経験豊かなジョン・サイモンを起用し、ロックンロールの叡智にあふれた神聖なウッドストックという土地を、レコーディングの場として選んだんだ。僕たちはそこで、ともに食事をし、散歩をし、よく話をして、演奏を楽しんだ。その結果、ウッドストックの空気感をもパックした、それまで日本ではあり得なかった極上なロックアルバムに仕上がった。それがこの『ザ・バーン』だ。
MWS●そうした意識はバンドのメンバー全員にあったんでしょうね。改めて、みんながどういったアンサンブルを奏でているんだろうと『ザ・バーン』を聴くと、すごく確信に満ちているんですよね。この曲は、もうこのアレンジしかあり得ない…
佐野●そう。このソロでしかない、この音でしかない。アメリカのバンドがライブハウスで10年間くらい一緒にやってきた末の音を出しているからね。ジョン・サイモンもそれは非常に驚いていたよ。「バンドは結成して何年だ?」「まだ1年です」「エーッ!」みたいなね(笑)
MWS●ザ・バンドからガース・ハドソンがセッションに参加しました。違う文化を持ったひとたちと創作するのはどんな気分なんですか。
佐野●例えばディランというミュージシャンのルーツにブルースがあるような、そのような意味での音楽的ルーツを僕は持っていない。そういう僕であるけれども、たとえば、ガース・ハドソンとセッションをする。その瞬間は、自分がどの国の人間であるかということはまったく関係なくなる。僕は、ロックンロールという入り口から入っていったコスモポリタンなんだという意識を強く感じる。そしてそれこそ僕が10代のときに求めていた自分のありよう、「コスモポリタンであれ」という意識。それが音楽という仕事を通じて実現できていることに、とても喜びを感じました。
MWS●ソングライティングに話題を移しますが、アルバム全編に感じるのは根無し草的な男の心情とストーリー性を感じます。
佐野●『ザ・バーン』は、10曲の短編集を創るつもりで書いた。唄の主人公はおとなの男たちだ。人生に行きづまりを感じながらも、最後の希望を見つけようともがいている、そういう男を描いた小説集です。
MWS●ウッドストックで生まれた曲も何曲かはあったんでしょうか。
佐野●「ロックンロール・ハート」もそうだし「マナサス」の詩もそう。リリックは、ウッドストックの深い森の中で書きあげたものが何曲かある。ウッドストックに行く直前に、妹の死という悲しいできごとがあった。僕は、学生の頃に好きだったホイットマンの詩集をポケットに入れて、早朝、よくウッドストックの森の中を散策した。歩きながら言葉を探した。そうすることですこしづつ心が回復していった。
MWS●どうですか、今改めて、アルバム『ザ・バーン』を語るとしたら...
佐野●ひとつだけ後悔しているとしたら、アルバムの冒頭『アルマジロのテーマ』。どうしてあの奇妙でけだるい「逃亡アルマジロのテーマ」をアルバムの冒頭に据えたか、今でもわからない(笑)。
しかし「ヤング・フォーエバー」以降は素晴らしいです。今回のリマスタリングを聴いたんですけれども、ホント素晴らしかった。リマスタリングすることによって、さらにオーガニックなサウンドが引きたった。そして何と言ってもHKB一人ひとりのプレイヤービリティの高さ。久しぶりに聴いたんだけれども、なんて素晴らしい演奏をしているんだと思った。僕の歌詞を聴きながら演奏してくれているのがよくわかる。デビューにして最高のバンドサウンドを得たいという当時の僕の狙いは、こうして時を経て聴くと、おおむねうまくいったんじゃないかって、そう思います。
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