MWS●『タイム・アウト!』を改めて聴くと、「等身大の佐野元春」が前に出ていて、メッセージ性の強かった’80年代の作品群に比べて、詩や曲がもっと身近に感じますね。
佐野●確かに、80年代の『Café Bohemia』が持っている政治性や『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が持っているメッセージ性は、今のニュー・ジェネレーションにはちょっとホットすぎるかもしれない。でもこの『タイム・アウト!』は今の時代に響きあうんじゃないかなと思う。当時の社会の停滞感は、まさに今の時代と非常に似ているからね。『タイム・アウト!』は、平易な言葉で日常をスケッチしたアルバムだ。
MWS●『タイム・アウト!』というタイトルに込めた思いは、どういったものだったんでしょう?
佐野●このアルバムをリリースした時代は、まさに狂乱の’80年代バブルが終わろうとしていた時期。まるで自殺に向かっているハネムーンのような時代だった。そんなイケイケのムードに釘を刺したくて思いついたのがこれ。『タイム・アウト!』──「ちょっと待って!」「ちょっとタイム!」──というタイトルをつけました。
MWS●アルバム『タイム・アウト!』は、その後の’90年代作品を貫いている「慈悲」という視点が垣間見える、佐野さんのソングライティングの質的変化が起こる最初の作品だと感じるのですが、ここはどうでしょう?
佐野●このアルバムを作ったのが34歳のとき。「ぼくは大人になった」という曲から始まる。この頃になってようやく、自分のことだけでなく、周りの友達や女性たちのことに思いを馳せられるようになった。かつて革命を信じていた青年は、やがて成長し、他者に対する慈悲の精神がなければ革命など意味がないのだと気づく。その延長にある「寛容」という精神は、のちの僕のソングライティングにおいて大きなテーマとなっていく。アルバム『タイム・アウト!』は、そうしたことに意識をおいた初めてのアルバムではないかな。
MWS●アルバムの収録曲について、もう少し語ってもらえますか?
佐野●「君を待っている」では、報われない愛を抱えながらも、愛した女性をあてもなく待つという男性を描いている。「クエスチョンズ」では「僕は小さい、僕は革命する、だけど小さい」と、矛盾にもがく青年の心を描いた。「夏の地球」では、主人公は環境について思いを馳せている。地球全体が夏に覆われているというあの表現こそが、エコロジカルな意識の表れだと思う。最後に収録した「空よりも高く」。これは僕が「家」という概念に正面から向きあった初めての曲です。僕にとっての家というのは、一言で言えば「再生する場所」だ。狂乱の’80年代から逃れて、「うちへ帰ろう」と、再生を願う男を描いた。
MWS●サウンドの面では、バンドによる純然たるアナログレコーディングを行ったことで、逆に今の時代にも通じる普遍的なロックサウンドになっていますね。
佐野●『タイム・アウト!』は、ザ・ハートランドというバンドがどういうバンドなのか、よくわかるアルバムだと言える。メンバーが一人でも欠けたら成り立たない、何も足さない、何も引かない(笑)、そんなバンドサウンドを奏でたんだ。このアルバムが出た1990年当時は、なんだかゴテゴテした装飾だらけのポップ・ロック・サウンドが巷に溢れ返っていて、僕は個人的にそうした音楽に辟易していた。そんな空気を感じていたので、この『タイム・アウト!』ではそれまでの派手なレコーディングを止めて、自分たちの等身大の気持ちに合った、アナログレコーディングを行った。バンドの親密な感じが出て、結果は良かったと思う。
MWS●そして、この『タイム・アウト!』のラストナンバーが、次の作品である『スウィート16』の冒頭につながっていくという仕掛けが...
佐野●そうです。『タイム・アウト!』のラストナンバー「空よりも高く」で、主人公の男は家路をたどるため長いドライブしている。クルマを運転しながら聞こえてくるのは、どこか遠くで轟く雷鳴。そんな景色を描いた。そして次のアルバム『スウィート16』の最初の音を聞いてほしい。あのアルバムは雷鳴から始まっている。つまり、「空よりも高く」の主人公と、ミスターアウトサイドにどこかへ連れだしてほしいと懇願している男は、同一人物なんだ。1980年の『Back to the Street』から始まった旅が、10年経って『タイム・アウト!』で円を描いた。『タイム・アウト!』は、僕の最初のディケイドの最後のアルバムとなったんだ。
|