カフェ・ボヘミアで朝食を
Café Bohemia Revisited
青澤隆明

 遠くに揺れていたもの、それは街の灯シティ・ライツだった。放浪の夢、見知らぬ夜明け。そして、ある日、彼はカフェ・ボヘミアで朝食breakfastをとる。人々のざわめきと、草の葉のささやきが響きあう。個と個とが出会うための、もっとエレガントで美しい方法を求めて、彼の冒険は続いていく。

 「彼のすべての行為が、アート そのものだ。」“パリが生んだ強烈な個性”についてそう記したとき、青年は明らかにそれを彼自身に課していた。20代の終わりに再訪したニューヨークと、30代の始まりにみるパリ。二つの都市をたずねた彼は、コミュニケーションのプロセスそのものを、全方位的な創造として発信する道を行く。訪問者たちヴィジターズはやがて、都市放浪者ボヘミアンとしてカフェ・ボヘミアに集うようになった。

 そこに歌いかけたのは、Sのための音楽だった。それはまずは、複数者への呼びかけであり、世界のどこかでいまを生きる者たちへの共時的なメッセージだった。Wild Hearts、Indivisualists、そしてYoung Bloods、Strange Days、99 Bluesまで、夜や夜明け、光や闇を詠うあらゆる音楽が、ポリフォニックな広がりをもって聴こえてくる。それは「誰れかが」であり、「誰れもが」であり、「人は誰れでも」と語りかける声であり、「友達」や「仲間のひとり」の「いろんな想い」はだから、すべて「僕たち」のものだった。

 そして、このカフェのハウスバンド、A Young Soul Ensembleを称する10人編成のTHE HEARTLANDが響かせるSoul music、R&Bへのリスペクトを表明した多彩なStyle のSound Production。そして、もちろんそれはMotoharu Sano、20代を終えゆく彼自身のための音楽でもあった。そのソウルやスピリットが初めて僕たちの心を震わせてから、めまぐるしくも20年の歳月が経った。

 カフェ・ボヘミアは架空の空間だった。だからこそ、そこでは精神の系譜を自由に辿ることが可能だった。ユーモアとほんの少しの孤独があれば、誰でもそこで自由に語り合うことができた。ホイットマンとボリス・ヴィアンは仲のいい友達だったし、ギンズバーグはあるいはヘミングウェイと賭けをしていた。そうした敬愛する先達に囲まれて、20代の佐野元春も陽気でポジティヴな姿勢を手放さなかった。誰もが天使のように笑い、そして誰もがひとりきりでどうすることもできない闇を抱えていた。だから、ひとりの物語は、あらゆる人々の歌になった。

 何かに急かされたように、前へ前へと進む若く狂おしいエネルギーがそこで求めていたのは、おそらく経験の唄だった。“Songs of Innocence”、“Songs of Experience”、ほぼ200年前に遺されたこれらの書物に彼の心が向かうには、あるいはギンズバーグの存在があったかも知れない。いずれにしても、無垢の唄を歌って時代を疾走する佐野元春は、これから経験の唄を書くのだ、そうどこかで察していたのではないかと僕たちは想像する。1980年代半ばさらに加速したその想いは、傷のように鮮やかに生々しく、いまに続いている。「経験の唄」は個人から宇宙的な共感へと響き、そして彼のスピリットはさらに旅を続ける。やがて彼は、2000年代最初のポップ・アルバム『THE SUN』で、普遍の人々の物語へと帰り着くことになるだろう。

 カフェ・ボヘミアで夢を。かつて佐野元春はそう言った。いまもその場所で、誰かがどこかで、夢をみている。見知らぬ夜明けの先には、太陽がある。夢をみる力も逞しく、佐野元春は再び路上に出るだろう。そして、いつかこのいまが、20年前になる。僕たちがあの日、カフェ・ボヘミアに残した伝言を、そうして微笑みながら読んでいるのは誰か?