「カフェ・ボヘミア」というライトモチーフ
原田高裕


 自由への
 偉大なる
 BANG-A-GONG
 それにしても
 何てムダが多いんだ
 詩人たちのすることは

 ──「The Essential Cafe Bohemia_Words」より


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 ここ数日かけて『The Essential Cafe Bohemia』を聴いて、観て、読んでみた。斜に構えて吟味するのではなく、「うっわ~、なっつかしぃー」「げげげっっ!! (何についてそう感じたのかはヒミツです)」などと、のたうち回りながら堪能させてもらった。そんな中、ひとつの疑問が浮かんできた。〈佐野元春は、何故あんなに頑張っていたのか?〉と。20年前、当時の僕にとって佐野元春は神々しい存在であり、やること成すこと全てが理路整然でクールな所業のように見えた。しかし、「The Essential Cafe Bohemia_Movie」を観てみると、むしろかなり「がむしゃら」だ。これには驚いた。佐野元春といえども「カフェ・ボヘミア」eraのような“総力戦”は、さすがにこの時だけのように感じる。希有のクリエイターが、30歳で挑んだ総力戦の果てで得たものとは何か? それは、元春自身にとってのその後の“ライトモチーフ=基調”だったのではないか。

 そのライトモチーフを表すコンセプト、それが「世代でなく、個人へ。カフェ・ボヘミア。」という広告コピーだろう (当時の音楽雑誌『GB』で出稿されていたM's Factoryやカフェ・ボヘミアのシリーズ広告を、僕は切り抜いて保管していたものだ。いまでも実家のどこかにあるはずだ。トーン&マナーが整ったクリエイティヴ。インディレーベルながらCI的なアドを出稿し続けたシリーズ広告は、日本の音楽業界ではそれ以来出現していないと思う。というか、音楽業界に「まともなシリーズ広告」は、本来必要ないのかもしれないが)。そして、「個人たちの連帯」を創り出すために、「カフェ・ボヘミア」という運動体では多種多様なメディアや表現方法が動員された。アルバム・詩・映像・スローガン・シンボルマーク・雑誌・ラジオ番組・レーベル運営、そしてライヴ…。これらの (未成熟ではある)成果が一丸となって、「個人たち」という対象に向かって放たれたのだ。

「“個人たちの連帯”というのは、矛盾しているじゃないか」と思われるかもしれない。僕としては、以下のように単純にアッケラカンと考えている。「個人という存在を成り立たせるもの。それこそが“自由”だ。しかし本当の自由は、そう簡単には獲得できない。もう少し、あともう少しと、一生をかけて追い求めるものだろう。自由な魂を追い求めている人間、それこそが“個人”ではないか」と。ちかごろ、パーフェクトな自由 ─ そんなものはあり得ないが ─ として「権力・体制」を欲する輩が多いので困ってしまう。狡猾な権力や体制を相対化できるのは、「自由な魂を追い求める」言動に他ならない。そして自由な魂をchasingしていると、それを妨害・邪魔するものたちとの軋轢・不協和音を生む。往々にして、「独りの人間」では対処できない状況が発生してしまう。そんな時は、知恵がいる、状況を緩和させるユーモアがいる、具体的な手段がいる。時には、励ましや慰みも必要かもしれない。そして、同志 (ソウルメイト)たちが欠かせなくなる。そんな「個人たちの連帯」を少しでも実体化するために元春がデザインしたフォームが、「カフェ・ボヘミア」だった。


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「カフェ・ボヘミア」での元春からのアプローチは、とにかく2WAYのコミュニケーションだった。マスで一挙にドカン!ではなく、あくまでも2WAYにこだわっていた姿勢は、間違いなく佐野元春のライトモチーフだ。ここで声高に言うまでもないが、携帯電話もインターネットも何も無い。今を基準にすると、通信というものが圧倒的にシャビーな時代にである。「マスではなくミニマム、だけど2WAY」といったコミュニケーションを86年前後に大々的に展開していたのだ。日本青年館でのライヴ・「FM Super Mixture」での7インチシングルプレゼントといったアクションに、その姿勢は色濃く出ている。雑誌広告といったマスメディアを活用してはいたが、その中身は「M's Factoryからのインフォメーション」という個人レーベルの近況報告(!)といったものだった。コテコテの商品プロモーションでは、決してなかった。

 元春から発せられるコトバのパースペクティヴ・地平がググッと拡がりをみせたのも、「カフェ・ボヘミア」eraの特徴だ。「奪われたものは 取り返さなければ」と路上にダッシュし、街に息づく無垢なるものをポップに/ダイナミックに描いた男は、その後NYCでストレンジャー(異人)となった。「自分」と「自分以外のもの」とに関する自己内対話を、「喋る (rap)」という唄い方で外に吐き出していた。その後、アルバム『カフェ・ボヘミア』やその時期のポエトリーでは、視座を“個人”に据えて、現況に対する問題提起・異議申し立てを行い、解決に向けての道しるべを提言した。[BEAT THE SYSTEM] [KEEP QUESTION] [CHANGE THE WINDS]というスローガン・警句に、その思いや信念がシンプルに結実している。

「自由な魂を追い求める個人に対するレコメンデーション」。これが『サムディ』や『ヴィジターズ』などとは決定的に異なる点で、『カフェ・ボヘミア』だからこそ獲得できた佐野元春のライトモチーフだと考える。ここで獲得された基調は、アルバム『サークル』で一旦そのサイクルを閉じる。その後、「少しだけやりかたを変えて」再び顕在するのであるが(ここ最近の元春のまなざしは、個人ではなく“世代”にシフトしてきているようだ)。

 さがしていた自由はもうないのさ
 本当の真実ももうないのさ
 もう僕は見つけに行かない
 もう僕は探しに行かない
 時間のムダだと気づいたのさ

 ──「ザ・サークル」より

 重要なのは、『カフェ・ボヘミア』のこのような基調が、我々ファンに大きく支持されているということだ。事実、アルバム『カフェ・ボヘミア』の曲は、最近のライヴでも定番となっているものが多い。『星の下 路の上』DVDでの収録26曲の内、5曲が『カフェ・ボヘミア』からの曲だ。

 ここは一応評論の場となっているので、「カフェ・ボヘミア」eraの個人的な思い出を披露することは控えたい。というか、あまりにも多すぎるのだ、思い浮かんでくる光景が。書き出したら、もう収拾がつかなくなる。ということで、今回はMEMO書きのみを挙げさせてもらいます。
 〈レコード屋で拙くも懸命な折衝の末、ようやくもらったジャケットをあしらった大型ポスター/エピックの革新性/プロモーションクリップ上映会「佐野元春特集」/コンサートチケットを買うとき赤恥をかいたこと/疲労困憊の早朝に泥まみれで観た「Beat Child」元春ステージ。その日の熊本市内では靴が飛ぶように売れたという実話/ステレオコンポを両親に買ってもらったこと/雑誌『THIS』の内容が中学3年生の僕にはよくわからなかったこと/当時のチケットのデザインは良かったなぁ/雑誌『GB』の元春記事を切り抜いてのオリジナル下敷き作成/(月並みだが)遅ればせながら初恋したこと/エルヴィス・コステロとの出会い/レイディオショー最終回企画。電話で元春と少しだけ話したこと。傍らにいた母曰く、「あんた緊張して、“はい”という返事しか喋ってなかったわよ。オンエアーは無理ね」。そして、母の言う通りだった/…etc〉


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 ニック・ロウがつくった曲に「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding」というものがある。「愛と平和と理解し合うことの、何がおかしんだ」というメッセージですが、その中の“Understanding”に最近個人的な興味関心が集中している。極論すれば、「愛と平和の議論は20世紀で一旦終わった。21世紀は“理解し合う”という基本がポイントになる」と思うのです。「時代が進歩した」かというとむしろ逆で、今の世界では愛と平和の土台であるはずの「相互理解」が蔑ろにされているようです。相手の存在・考え方を尊重する、自分の存在・考え方を尊重してもらう。そして、はじめて相手も自分も「自由」になっていく。“個人”として、愛を分かち合い平和に参画していく。

《われわれは、直接経験できる仲間についての知識をもっているばかりでなく、もっと疎遠な同時代の人々についての知識ももっているのである。さらに、われわれは、祖先、つまり歴史的に先行する人々についての経験的知識ももっているし、他者によって作られたことが明らかな諸対象に自分が取り巻かれていることも知っている》アルフレッド・シュッツ『現象学的社会学』より

「自由」とは、自分自身で完結するものではない。他者からの干渉を病的に拒むことではない。皆と集い・時空を共有し・紛糾し・議論し・戯れ合い、そして理解し合っていく。自由は、その一見ムダ且つ不合理かと思われる他者とのさまざまな交流・実験的交友を経て、はじめて生まれ出てくる。そのための音楽と言葉に満ち溢れた“集いの場”が、元春の「カフェ・ボヘミア」だったのだ。僕は、そう思う。この運動体は、今もどこかで持続している。

 こんなことを夜明け前に考えていた僕は、クレイジーなのだろうか?


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「The Essential Cafe Bohemia_Movie」の最後で、佐野元春はこんなことを言っている。「世の中には音楽なんて必要無いって人もいる。けっこう忘れがちなことだけど、僕は今でもそのことを忘れないようにしている」と。

「カフェ・ボヘミア」という季節の中で、佐野元春はどこの誰よりも詩人だったのだ。