「カフェ・ボヘミア」が産まれるまで 
    〜 詩人 佐野元春 〜
きたはらよしゆき

 佐野元春は1985年に発売したシングル「Young Bloods」の見開きジャケットの右側に「カフェ・ボヘミア」という詩を書いている。

 ありふれた痛み
 を 抱きかかえ
 10月の太陽の下
 おだやかに横たわる
 ストリートの理想主義者たち
 は

で始まる詩だ。そして1988年10月に発行された雑誌『SWITCH』に「エーテルのための第二章」という散文詩を発表している。(*1988年10月 Vol,6 No.6.1989年2月 Vol,7 No.1 扶桑社刊)
 “おれはけっして公明正大な人間じゃない。誰も公明正大な人間じゃない。”という一節を含むものだが、この散文詩を書いた時の心境を、元春は次の様に話している。

 “僕は『カフェ・ボヘミア』というアルバムを2年前に出したけれども、新しいレコードができるこの期間に、その事についてよく考えていた。僕はなかなか手に入れるには時間のかかるその答えを、すぐにでも手にしたいとあせっていたんだ、きっと。そのシングルのセッションが終わった後、まず僕がしたことは、音楽を作ることではなくて、長編詩を書くことだった。今『SWITCH』に連載している散文詩があるんだけれども、それをやみくもに書き始めた。書かれている内容より書く行為の方が大事だった。と言うのは、僕はもっともっと自分をよく知りたかった。それからじゃないと次の自分の、音楽での新作はできないと思ったんだ。(後略) <p.8>(*『週刊FM』1989年4/17-4/30 No.6 音楽之友社発行)

 詩は最も端的な表現として現れる。
 元春がこの年、詩を書くことを表現手段に選んだことには創作へ向かおうとする旺盛な意欲が感じられる。
 詩は、取り上げた対象となった題材は、理由としての存在を「設定」抜きで与えられている。言い換えればそこに物事が描かれていたり、何者かがそこに在ること自体が、既にメッセージなのである。

 様々な風景の中には、当然あまたの事柄・事物が映り、その対象について、あるいは言葉の「選択」、作品のモチイフ選びの段階で、詩人の目、視界、フレームによって、独自の“批評”を表し得ている。詩の場合、それらの対象に与えられる“形容”が、「共通語」としての言語-日常的に使われている言葉本来の意味-とは、時として場違いな用い方をする場合があり、“異なった感じ”を受けることがある。即ち、その詩の冒頭から結句まで、総て詩の作者の「呼吸」に合わせた「発音・発語」だからである。

 詩人・佐野元春は、作品中に描かれている、自分の中のイメージに立ち会っており、そこで起こっていることを「目撃」していなければならないし、また逆に、詩の作者が「存在」していなければ、「詩」は生まれて来ないとも言える。

 詩はまた、様々な表現方法の中においても、とりわけ即時性を発揮する。小説作品を読む、一つの作品を読了するために費やす時間より、一篇の詩を読む方が、スピードがあるからだ。
 詩を読む者は、その詩人によって、<時間の圧縮>と<事象の凝縮>の二つの点から恩恵を受けるといって良いだろう。

 私は「佐野元春が視た世界」を、詩を読む作業によってのみ、知ることが出来る。
 私は「詩人の生きる力」の所産を紐解くことによって、初めて詩人・佐野元春を理解する。