特集=佐野元春『自由の岸辺』が照らし出す現在

「ふたりの理由」に横たわる十数年の歳月

山本智志

 聴くのを楽しみにしていた曲がある。それは「ふたりの理由、その後」。
 その最初のヴァージョンである「ふたりの理由」は、いまから20年近く前、ブリンズリー・シュウォーツやピート・トーマスら腕利きイギリス人ミュージジャンたちを起用してロンドンで録音されたアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収められた。言うまでもなく『ナポレオンフィッシュ』は佐野元春の長いキャリアの中でも重要なアルバムのひとつであり、「ふたりの理由」はそのアルバムを締めくくる重要な曲だ。

 “新しい生活の建て直しに向けて”という佐野のひと言が添えられていたこの歌は、詩を朗読するような語りが続いたあと、コーラス・パートで《夜が朝に変わるまで 風が光に変わるまで ソウルメイト》というリフレインがソウルフルなメロディーに乗せてうたわれる。
好きな曲だった。どこか、当時の自分と重なる部分があったからなのかもしれない。2001年9月に鎌倉芸術館で開かれた詩と音楽のパフォーマンス『In Motion 2001』のライヴ・アルバムにも、この曲が収められている。そこでの井上鑑らによる温かみのある演奏も気に入っていた。

 「ふたりの理由」の改作である「ふたりの理由、その後」を初めて聴いたのは、小坂忠が2009年に発表したアルバム『Connected』でだった。佐野が「ふたりの理由」に手を加えて小坂に提供した、ということだったと思う。
変更された曲名どおり、その歌では「ふたりの理由」の“その後”がうたわれている。小坂忠の歌を聴きながら、佐野元春がこの曲をうたったらどう聞こえるだろうと想像したことを思い出す。それももう、8年も前のことだ。2年前の佐野のライヴ「Smoke & Blue」でこの改作が披露されたと聞いたときは、コンサートを観た人をうらやましく思ったものだった。

 男と女が出会い、一緒に暮らしはじめた「ふたりの理由」は、別離をうかがわせる歌に変わった。その2曲の間には十数年の歳月が横たわっている。
Mate:メイト。仲間、連れ合い――聴く人によって受け止め方は違うだろうが、「ふたりの理由、その後」は長年連れ添った夫婦の歌のように聞こえる。
男は《人の命は短い もう二度と偽らないで 好きなように羽ばたいてくれ》と女に伝える。そして互いに自分たちに起こったことを静かに受け入れようとしている。 《理屈なんかじゃ図れない 運命に導かれて すべてはつながってゆく》。“新しい生活の建て直しに向けて”という佐野のひと言はここでも、いや、ここでこそ必要だ。

 美しいストリングスをバックに、佐野は、むしろ感情を抑えるようにうたっている。彼の声には心のこもったぬくもりが感じられる。そこには未練も自己憐憫もなく、これまでの結婚生活における相手への感謝や思いやりの気持ちを“ソウルメイト”という言葉に凝縮させる。

 佐野は『自由の岸辺』を「“セルフ・カヴアー”というよりも“アップデイト・カヴァー”だ」と言っているそうだ。
“アップデイト・カヴァー”。今日的な改訂、か。佐野元春らしいな、と思う。『月と専制君主』もそうだったが、佐野は過去の楽曲の中から注意深く曲を選び出し、それらに自分が取った年齢と同じだけの時間をかぶせ、歌の主人公やその歌そのものを成長させ、さらにはいまの時代の姿までをも示している。

 これは、別に驚くようなことではない。彼はこれまでもしばしば、ツアーのステージ上で昔の曲を大胆に、あるいは乱暴に、アレンジを大きく変えて演ってみせてきた。そしてわれわれはそのたびに、戸惑い、はっとさせられ、そして感動を覚えてきたのだ。
単なる再演ではなく、そこに新しい何かを示すべく取り組む。新しい解釈を示す。佐野はそうやってきた。今回選ばれた曲は、いま、2018年の現在においてもリアリティーのある曲、ということだろう。ならば、われわれ聴き手もこのアルバムに佐野と同じように向き合わなくてはならない。

 「夜のスウィンガー」は「夜に揺れて」というタイトルが付けられ、現代のブルースに姿を変えている。この曲の終わりの方で佐野は、ボブ・ディランのように(決してうまいとはいえないが、耳を引きつける)ギター・ソロを披露している。ここにも主張がある。
ニューオーリンズR&Bのグルーヴを繰り出すリズム・セクション。粘るようなスライド・ギターと転がるようなピアノの連携。こうした演奏がスピーカーから流れてきたら、身体はじっとしていることはできない。そうした演奏をバックに、佐野はブルースを唸る。

 歌詞が部分的に書き直されてはいるが、「夜に揺れて」は演奏を別にすれば、曲の印象はそれほど変わっていない。
夜の光景とそこに集う男女の姿。そこに浮かび上がるストリート・ライフの歓びと苦悩。こうした街の物語を、佐野はブルースやニューオーリンズR&B のテイストを持ち込むことで曲を熟成させ、向こう見ずだった夜のスウィンガー(翔んでる若者たち)の“その後”を描き出している。ただ昔の歌をうたっているだけの“セルフ・カヴァー” が巷にあふれるなか、こんなことをやろうとする、そして出来ているポップ・アーティストがいったい何人いるだろうか。

 ほどほどに甘くほろ苦いドラマの数々。『自由の岸辺』に収められた11曲は、経験を積み、年齢を重ねた“かつての若者たち”のいまの姿をそこに浮かび上がらせる。それは、部分的にわれわれひとりひとりの、ほろ苦く悲しい現存の姿と重なる。
ソングライティングにおける佐野の鋭い洞察と想像力、そして創造力は、一向に衰えを見せない。彼は大衆へのアピールということを犠牲にすることなしに、豊かさと深みとに到達できる彼の能力を、ここでも示したのだ。
 佐野元春はつねに自作を見つめ直し、新たな考えをそこに注入し、いまの時代に沿った意味を込める。あるいは、その曲を最初に発表したときにつかみ損ねた“空中に漂う何か”を追求し続けている。それは瞠目すべきことなのである。