もう20年前のこと
能地祐子

  もう20年前のこと。1993年。アルバム『The Circle』にジョージー・フェイムがゲスト参加した。1960年代、モッズ時代のイギリスを代表する小粋でファンキーなミュージシャン。収録曲のひとつ「エンジェル」でオルガンを弾き、ほんの少しではあったけれど、佐野元春とヴォーカルを分け合っていた。年齢を重ねたためか、歌声はかつてとずいぶん違っていた。けれども、ジョージー・フェイムがたったひとこと“Angel...”と歌っただけで確実に世界が変わった。彼が歩んできたそれまでの人生のすべてが見えてくるような深みのある歌声だった。

 自分もいつかあんな色っぽい男になれるのだろうか…。

 レコーディング当時、ちょっぴり悔しそうに佐野が話してくれたことを今でもよく覚えている。かなわないな、あんなふうに年を取りたいな、と。そのことを2010年の暮れ、セルフ・カヴァー・アルバム『月と専制君主』リリース直前のインタビューの席上、佐野に改めて問いかけてみた。以下、その際のやりとりの一部だ。

佐野 そうだったね。よく思い出してくれた。ぼくが36歳のときに『The Circle』を作った。そのときにジョージー・フェイムは…50歳くらい?
能地 ものすごくオトナの印象でしたけど、今の佐野さんと同世代だったんですね。
佐野 驚くことにね。ぼくなんかにとってのジョージー・フェイムといえば「イエ・イエ」や「シッティング・イン・ザ・パーク」。鋭い、中音域がきゅっとした声の、ごきげんな、少し黒っぽい感じのR&B的なシンガー。そういうイメージがあって。でも、実際セッションしたときには、ずいぶん違う声になっていた。
能地 ハスキーな、枯れた感じで。
佐野 でも、がっかりはしなかった。声に深みがあって、もっとやさしい感じになっていて。そのとき思ったのは、ぼくも50過ぎてもジョージー・フェイムさんのように、いっぱしのラヴ・ソングが歌えるようなシンガーでありたいなって。それがいつの間にかこんな年齢になっちゃった。
能地 やっぱり、年齢を重ねたことで歌える世界もありましたか。
佐野 気のせいかもしれないけどね、ラヴ・ソングに深みが出てくるような気がする。気のせいだと思うけれども。
能地 いやいや、出てますよ、深みが。
佐野 気のせいだと思うよ(笑)。
(ミュージック・マガジン 2011年2月号)

 いや。気のせいじゃなかった。確信した。今回のアルバム『Zooey』がその証し。『Zooey』は、とても大きな意味でのラヴ・ソング・アルバムだと思う。今、この国を見渡せば、絶望、怒り、悲しみ…。あまりにもネガティヴな出来事が多すぎる。こんな時にシンガー・ソングライターは何を歌えばいいのか、誰も考えさせられている。真摯な問いを突きつけられている。佐野元春は「愛」を歌うことを選んだ。そして、今、彼が歌う「愛」という言葉がどれだけたくさんの風景を見せてくれていることか。どれだけ深い思いを語りかけてくることか。どれだけ色っぽく響くことか。

 佐野とコヨーテ・バンドが繰り出すグルーヴは野蛮で、痛快で、時に不作法で、それでいて陽気さを失わず、密やかにエレガント。ギターを歪ませてオルタナティヴなやり口でロックしたかと思えば、ノスタルジックな美しいメロディをセンチに歌い上げる。洗練されたブルー・アイド・ソウルで艶っぽく囁きもすれば、やんちゃなユーモアをたたえたパワフルなポップを爆発させたり…。「大人のロック」という陳腐な言葉は使いたくないのだけれど、やっぱり、このカッコよさは大人の特権としか言いようがない。いたずらに枯れることもなく、かといって無理に若い連中の仲間ぶるわけでもなく。年齢を重ねた、ありのままの声で歌う。今、佐野元春の目に映る世界を描いた歌は、この声でなければ伝えることができない。

 そして何よりも、この声によって歌われる「愛」という言葉が何と美しいことか。

 本作を解くいちばん最初の鍵はアルバム・ジャケットの中にある。写真の中の佐野元春は、今まさにマイクの前に向かおうとしているのか。あるいは、歌い終えて余韻を味わっているのか。背後には心から信頼を寄せるコヨーテ・バンドがいる。いい写真だ。誰が何と言おうといつだってオレの居場所はここなんだ。そんな、誇りに満ちた表情。

 ステージに立ちマイクに向かった瞬間、佐野元春のまなざしは変わる。「さぁ、ここで自分の仕事を始めるんだ」というプロフェッショナルな緊張感と、世界中のどこよりも大好きな場所にいる安堵感とが入り交じった、あの不思議なまなざし。昔からちっとも変わらない。タイトなブラック・ジーンズにハイカットのコンバースを履いていた若きロックンローラーは、今ではシックなジャケットに身をつつんだ銀髪のジェントルマンになった。あの不思議なまなざしだけは昔のまま、成熟した外見と、豊かな見識と、より深みと幅を増した音楽性という新たな武器を手に入れた。

 たとえば、インディ・フォーク的なサウンドでフィル・スペクター・サウンドへのオマージュをやってのけた「虹をつかむ人」。一筋縄ではいかないサウンド・アプローチは新しいときめきであると同時に、かつて「サムデイ」で愛の謎を解こうともがいていた青年との再会でもあった。彼は愛の謎を解けたのだろうか。いや、けっして謎解きできないからこそ愛だということに、長い歩みの果て、気づいたのか。

 佐野元春の歌声とともに年輪を重ねてこれた幸運。心から感謝してます。