ハートランドからの手紙#102
掲載時:97年3月
掲載場所:Moto's Web Server
掲載タイトル:「THIS」休刊について

 「THIS」休刊について、まずは、支援してくれているファンに僕からの公式な表明が遅れたことを謝らなければいけない。最終号となった本誌「特集:The Future Trip」には、これがとりあえずの最終号なのだということを、暗にもったいぶった遠回しな表現で、「旅に出る理由」というタイトルの詩を掲載した。敏感な読者であれば、本号で「THIS」に起こった変化を察知したかたもいるかもしれない。よくある雑誌休刊にあたってのなかば慣例的な作法に習って、編集長からの辞を添えようかとも思ったが、特集の性格を優先して、あえてドラスティックな言及は避けた。しかし、もちろんこれでお茶を濁す気はまったくなく、むしろ誌上よりも、読者からのより直接的な反応が期待できるインターネット上で表明してみては、という気になった。

 人ごとのようにいうわけではないが、僕が主催する個人雑誌「THIS」は今回で3回目の休刊という憂き目にあうこととなった。第一期は、84年ニューヨーク在住の時に遠隔操作で発刊した際の「THIS」。第二期が、個人レコードレーベル「M's Factory」を設立するのと同時に発刊した「THIS」。そして今回90年代に入ってから、両親の死をきっかけに発刊する気になった第三期「THIS」。第一期の「THIS」を除いていずれも自費出版、自主運営、編集責任を貫いてやってきた。

 今回「THIS」の休刊の理由のひとつに、採算がとれないというマネジメントからの報告もあるが、それとは別に、メディアとしての「THIS」の役割を考えたとき、僕自身の中で少なからず変化が起きていることもあった。

 当初、90年代前半、「THIS」の再発刊にあたって、僕の中にあったのは、ケルアック、ギンズバーク、ニール・キャサディー、バロウズといったビート世代の、新世代文化(のちに命名されるオルタナティブ・カルチャー)への影響だ。そのビート世代が持つスタイルは、アメリカの新世代のみならず、自分が暮らす日本の新世代にも、無意識下の影響を与えているかもしれない、つまり「ビート再訪」を、シンクロニシティー- 同時性をもって現れる現象のひとつとしてとらえ直してみるのも悪くない、と思った。

 現代のヌーベル・ボヘミアンたちの気取るゴーティー髭に見るファッション表現、「オマエの生き方なんかくそくらえだ。」とプリントされたT-シャツ。だぶだぶのパンツにスニーカー、スポークン・ワーズにクラブ・カルチャー。くだけた調子のビーバップ・ジャズはラップにとってかわってはいるが、ビートが90年代オルタナティブ・カルチャーに与えている共感、でいえば、二つの時代にあるそれぞれの文化に、外見上の類似性を見ることができる。第3期「THIS」編集を通して目的としたことは、つまり、A.ギンズバーグのいうところの「世代間の共感伝達」。ビートが時代の文化的橋渡しとしてどう機能しているか、また、そこに見る価値観の90年代的再構築は可能か?にあった。

 翻って、オルタナティブ。そうしてビート世代からの影響を指摘されつつ、一方では、流行を追いかけることに躍起になっている大企業主導型の文化ビジネスに効率良く利用される現状(オルタナティブ世代に向けたGAP社の広告を思い出す)では、もはや「オルタナティブ」は誰もがたやすく口にすることができるようになり、メインストリームに対する異議申し立ては、細分化されたマスカルチャーのなかでその役割はすでに終えていると言わざるを得ない。

 第三期「THIS」はその時点で休刊を望んだ。

 97年4月。休刊の決定と前後して、A.ギンズバーグ氏死去の訃報を受けた。これまで「THIS」の編集を通して二度お会いしたが、残念でならない。失笑のそしりはまぬがれないだろうが、この訃報が「THIS」の休刊と相まったことに、何か因縁めいたものを感じた。まさに「THIS」が再出発した94年Vol.1 No.1号では、A.ギンズバーグ氏の肖像が表紙を飾っていたのだから。

 ペーパメディアとしての「THIS」はいったんここで休息、身繕いをして再び路上に出る。今後「THIS」は形態をさまざまに変えてお目見えすることになると思う。これは終わりの宣言ではないと受け取ってもらっていい。

 支援してくれた全国の良心的な読者に心から感謝して。

 これまでの購読をどうもありがとう。

1997.4.21
佐野元春


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