ハートランドからの手紙#76
掲載時:94年6月8日
掲載場所:書簡

桶谷裕治様
株式会社サウンド・デザイナーズ・ユニオン

桶谷裕治様
ご無沙汰しています。お元気ですか。お便りを拝見しました。武道館へ来てくださっていたんですね。うれしいです。そして暖かく励まされるようなお手紙。僕の音楽に触れてくれている人がここにいるのだという確信。幸福です。桶谷さん、どうもありがとう。

しかし僕は必ずしも幸福ではないような気がします。
僕はある時期、ロック・ミュージックに発情し、ロック・ミュージックにある種の信頼を寄せ、ロックと呼ばれるフォーマットを使って表現してゆくことを心に決めました。僕にとってロックとは、10代のはすっぱな無謀さ、はみでる無邪気、とりとめない欲望への無抵抗さ、つまり、成熟を拒む音楽でした。しかし年令を経るごとに、僕自身の人生を見つめれば、喜びは哀しみに、快楽は苦痛に、一瞬の至福は現実の苦い認識へと形を変えてきました。

そうした意識が自分のここ数作品に図らずも反映していたように思います。望むと望まないにかかわらず、勝手に筆と音譜が進んでいってしまうのは、きっとこれはソングライターの宿命ですね。幸福な表現者とは、僕は若くして天に召される人間のことではないかと思います。人生の中で、傷みを傷みのまま提出できる期間は限られています。幸福な表現者とは、その限られた期間の中で最善を尽くした者たちのことをいうのだと思います。

現代のロック聴衆に、ほんとうに「生き残った者たち」の声に耳を傾けてくれる辛抱強さが残されているでしょうか。僕には答えることができません。ただ僕はあのヴァン・モリソンを見るときに、あのニール・ヤングを見るときに、そして幸運にも先日セッションすることができたジョージィ・フェイムを見るときに、ひとつだけ確信することがあります。それは、「ゆらぎ」のなかにおいても信念は貫けるのだ、という確信です。

ポスト・モダニズム以降、世界は再び「意味」を求め始めているように感じます。語るべき主題の発掘に向けて、より多くの表現者たちが声をあげることを期待しています。僕もまたそうした一群のひとりなのだ、という自覚をどこかに持っていたいと思います。それがたとえ、「たったひとりで構成されているグループ」のようなものだと感じたとしても、もう僕はさびしくはないだろうと思います。
なぜなら、「僕はおとなになった」から。

今年、14年間活動をともにしたザ・ハートランドが解散します。僕のシフト・チェンジです。この機にあたって、桶谷さんの手紙は、自分自身を見直すきっかけを与えてくれました。ほんとうにどうもありがとう。またお会いしてお話しできるのを楽しみにしています。

お元気で、またいづれ。

94.6.8

佐野元春


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