Goodby Mr.Ginsberg

Moto meets Allen in 1986
'86年ニューヨークにて。インタビューのためギンズバーグ氏を訪ねて
「THIS 1986 No.1」より転載。Photo: SEIJI MATSUMOTO



1997年、4月5日、詩人アレン・ギンズバーグ氏は、ニューヨーク市ロウアー・マンハ ッタンの自宅で、肝臓癌のため亡くなった。70才。

安らかで明快な気持をもってご自身の出口を見つけられたと信じます。彼の言葉や 行動に感謝して。ご冥福をお祈りします。
ー佐野元春

■Farewell figure #1

「ギンズバーグ氏への伝言」 佐野元春

昨日は
あなたの憂いに 触れさせてくれて
ありがとう
キスを続けてください
アメリカの心臓に
アメリカの皮膚に
アメリカの発生器官に
アメリカのペニスに
アメリカの肺に
アメリカの消化器官に
アメリカの神経に
そして アメリカの
Ass Holeに!

幸運のおみくじより
Jan.3, 1986

(ギンズバーグ氏に面会の翌日、氏に宛てて送った詩。「THIS 1986 No.1」より)

■Farewell figure #2

ギンズバーグ・インタビューからの抜粋(1986年)

MOTO : ビートニクスの流れをくんだムーブメントや人は、今でも存在していますか?

A.G. : それはね、時代によって呼び方が変わるものなんだ。でも基本的には `ボヘミアン`として生き続けている。 ボヘミアンとは、インターナショナル・マナーを持ち、自分の心、自分の肉体、自分のセックス、自分のアート、 自分の結婚、自分の生活、自分の人生をよく把握しているひとのこと。そして自分自身の検閲からも、自分自身の抑制からも 自由で、実験の心を持ち続けている人のことなんだ。

■Farewell figure #3

8年後、再びギンズバーグ氏を訪れて - アメリカ、ボールダー市「ナロパ・インスティテュート」にて
TEXT : 佐野元春(1994年)

宿舎の庭に出ると偶然、今回取材を申し入れているアレン・ギンズバーグ氏と会った。以前お会いしたときよりも幾分痩せていた。 しかし、道を追及する者に共通した眼光の鋭さに変わりはなかった。(中略)以来、八年の歳月を経て、こうして今回、再び 僕はアレン・ギンズバーグ氏のもと訪れた。聞きたいことは山ほどあった。正式のインタビューの時間は後日にセットアップされていたので、 はやる気持ちを抑えなければならなかった。

■Farewell figure #4

「ナロパ・インスティテュート」で行われた、ギンズバーグ氏のパフォーマンスに触れて
TEXT : 佐野元春(1994年)

アレン・ギンズバーグがデヴィッド・アムラムをともなって舞台に上がったのは九時すぎだった。ほかにギタリストがひとりいた。 音楽が始まった。ギンズバーグ氏はしきりと首を左右に振り楽しげに唄った。(中略)そしてなかでもぼくの心とらえたのは次の一行 だった。「Don't follow my past extention」。- だれかのフォロワーになるな。先人の失敗を繰り返すな。過去のアイコンにすがるな。 ギンズバーグ氏はそうメッセージした。そう。そのとおりだ、と僕はうなずいた。未来は過去の延長では決してないのだ。

■Farewell figure #5

アレン・ギンズバーグ氏関連サイト

■Farewell figure #6

「ナロパ・インスティテュート」での取材を終えて - 雑感
TEXT : 佐野元春(1994年)

今回の取材はここで終わる。このイベント「Beats and other Rebel Angels」について情報を得たのは、東京を発つ直前、6月の終わりのことだった。ビートに関連するこれだけの作家が一堂に介する機会もめずらしいだろう。あと6年で20世紀が終わろうとしている。彼らの目に「現在」はどう映っているのか。それが知りたかった。次にこうした集まりが開かれるのはいつのことになるか、わからない。その時までにあるいは何人かは生きていないかもしれない。おそらく今回のイベントが、現存するオリジナルなビートたちによる最後の祝祭になるような気がしている。そうした意味で今回の取材は僕にとっては切迫していた。

ビートの持つコンセプトを基盤に、70年代以降はそれぞれに個人的な課題を抱えながらさまざまな場所に散っていった作家たちだ。同時に、ある特定の世代の感性が時と場所を変え、ユニバーサルなレベルで他の世代にも大きな影響を持ったという、そんな文化的奇跡を体現した稀な作家キャラバンであるともいえる。その作家キャラバンたちによるおよそ40年に渡る旅の記録が、このイベント「Beats and other Rebel Angels」に結集していた。そこには先人たちの反抗の軌跡を次の世代に渡してゆくのだという決意があった。生き残った証人たちと膨大な資料を前に感動的でありまた圧倒的でもあった。しかし一方で、今回このイベントを取材し、インタビューしてゆくなかでの僕の感想は、やや感傷的にならざるを得なかった。やはり時は流れたのだ。たとえばアレン・ギンズバーグ・ライブラリーがそれを象徴していた。彼らが敵に回した近代文明、キャピタリズム、管理体制、あらゆる差別と検閲。自由を擁護するにあたっての野蛮な理論武装は、もはや路上にではなくエア・コンディショナーの効いたライブラリーのなかにあった。かつて60年代、大陸の移動とドラッグの経験から自己を発見しようとしたケン・キージーは、それを象徴する彼の伝説的なバス、「マジック・バス」が、このイベント会場に着く途中エンジン・トラブルで故障してしまったため飛行機を使わざるを得なかった。これはもちろん今回のイベントをレポートするにあたって重要な指摘ではないにしても、ビートが現在置かれているひとつの現実でもあるだろう。

1994年現在。かつて若く野蛮さに満ち、時代と狂おしいまでに共振していた彼らの肖像も、現在は一様に充分な業を積んだ聖者に似た風貌をたたえている。僕の目には、現在の彼らは反逆者というよりむしろ人生における真実と美の絶え間ない探求者として映る。そのビートたちが反抗の矛先を向けた近代文明、キャピタリズム、管理体制、あらゆる差別と検閲は、かつてから彼らが捨て身で発信してきた警告どおり、さらに複雑な様相をともなって不吉に現実を凌駕している。今回のこのイベントのタイトルはまったくもって的を得ている。「ビート、そして反逆の天使たち-Beats and other Rebel Angels」。反逆は様式化される前に新たな反逆を要求される。今回の取材を通して僕は、次の世紀に向けて僕や僕の次に来る世代が何を選択し、何を課題としてゆくかについて、緊急の模索を促されているような、そんな問いかけを受け取った。 そして最後に。雑誌がビートを取り上げるこうした特集の際、いつも結びの言葉として採用されるこの使い古された表現がひとつの暗号めいた挨拶がわりになるというならば、あえてその慣例に従いたい。

ビートは継続する。


さようなら、アレン・ギンズバーグ。
佐野元春


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