今井智子

 甘くて水っぽくて物足りないからフル−ツは嫌いだ、と言う人がいる。
だが、野菜と括られるものの中にあらゆる味があるように、または肉の一言で片付けられるものに想像もつかない種類が含まれるように、フル−ツにも多種多様な味や楽しみかたがある。野趣溢れる肉料理にフル−ツ・ソ−スがぴったりだったり、激辛料理で痺れた舌を戻してくれるのがココナツだったりもする。

 ここに新しいフル−ツがある。懐かしい味も初めて体験する味も含んだ新種だ。ロックンロ−ルの甘さに少し微笑み、ヒップホップの酸っぱさに顔をしかめ、ジャジ−な苦みをほのかに味わい、食べ進むうちに豊かな気分になった。

 半年前、新しいバンドとのライヴを見た時に、きっと力強い作品が生まれるだろうと思ったものだが、これはその期待を上回る曲が並んだ素晴らしい作品になった。『ヴィジタ−ズ』の高揚感や『カフェ・ボヘミア』の冒険心に通じるものをたたえながら、成熟したア−ティストならではの、経験に裏打ちされた豊潤さで17曲を包み込んでいる。

 ‘こんな時代に、性善説に立つ事の、勇気と愚かさをもって’『フル−ツ』とこの作品を名付けたと佐野元春は記している。精神的な、あるいは経済的な生存競争のための闘争が、本能をむき出しにした獰猛さや貪欲さを許している時に、知性をたたえた無垢さを表現するのは本当に勇気のいることだと思う。

50年代のモラルや60年代のイノセンスに替わる前向きな価値観を彼は歌い続けて来たが、ソロになった今、壊れて行く世界で希望を失いそうになっても、21世紀に向けてポジティヴな信念を持ち続けていることを、この作品を通じて私たちに示している。彼とほぼ同世代で同じ時代に生きるものとして、忘れてはいけないものを思い出させてくれたことに感謝したい。

今井智子

追記:この原稿に加筆し、神奈川新聞文化部に記事を掲載していただきました。