角野恵津子
『フルーツ』を何度も聴くうちに、彼の音楽と始めて出会ったころのことが思い出されてきた。「Someday」を始めとする、80年代初期のステキなポップ・ナンバーを彼の音楽への入り口にした私は、そのキラキラした輝きに心を弾ませた。そしてそれを機に彼の作品を聴き続けるうちに、明るくはじけるだけでは終わらないその音楽の深さや重みを知り、さらに表現者としての彼にシンパシーを感じるようになった。
そこに達するまでには数年の歳月が費やされているのだが、今回の『フルーツ』はこれ1枚で、彼の持つ軽やかなポップ・センスと深さや重みをも表現し、結果的には楽しいポップ音楽として成立させたアルバムのように思う。
まず『フルーツ』は、無条件に楽しい。「何よりもごきげんなポップ・アルバムを創りたかった」(彼のレコーディング日誌より)という彼の思いは、そのまま具現化されている。そしてさらに聴き込むと、そこに歌われているのはハッピーな感情だけではなく、せつなさや憂鬱、哀しさといったものもあることに気づく。だがそのいわばヘビーな感情はむき出しにせず、最終的にはポジティブな姿勢に帰結させ、非常に清々しい後味を感じさせるのが、このアルバムの最大の魅力だと思う。
創作物というのは、おのずとその時の作者の気分が反映するものだ。ということは、このアルバムの創作に当てられた1995年春からの1年間は、彼にとってとても刺激的で心弾むものだったように思われる。そしてその結果でき上がった作品でさらに私達聴き手もハッピーになれる。音楽の創り手と聴き手、双方の幸せがここに成立する。それは、音楽っていいよねと思える最高の時だ。
“フルーツ”というものはイメージとしてまず上げられるのは、フレッシュということだろう。だがそれは熱するうちに、深い味わいをたたえ始めることも忘れてはならない。さらに発酵するに至って、それは複雑で円やかな口当たりを楽しませる酒にもなる。「Someday」を始めとする初期の作品が、10数年を経た今でもそんな果実酒のごとく、ステージでさらなる味わいを深めてその輝きを放っているように、今回『フルーツ』に収められた作品もまた味わいを深めつつ、生き続けていくことだろう。
角野 恵津子