上村 崇

 佐野さんの庭にいたという小鳥の声で目を覚まし、数々の「元春サウンド」を形作 る音源が不協和の調和を一挙に奏で る『インターナショナル・ホーボー・キング』。 この世界への飛び込み方、または飲み込み方はまさしくツァラトゥス トラの導きだ。 相反するものの境界が融解するタオイズムよりも全てを超越する確固たる意思を感じ た。この1曲目で アルバムを最後まで聴かずにいられなくなることに誰もが同意して くれるハズである。

 そのまま今回のポップ性の強調とも言える『楽しい時』になだれ 込むこの確信犯的構成。全編に共通する短い曲で次々 にイメージをジャンプしていく この構成は、昨今のリミックスダンスミュージックに対する佐野さんのスタンスをさら に強固なものにするだろう。

 そしてミディアム・スロウなパートに入って改めて佐野さんがメロディーメイカーであることに気付いた。適度に抽象 的な歌詞も具体的 な心理変化として脳裏に描けるのである。これが『THE CIRCLE』に比べてよりポップ スになったと いうことだろうか。

 スタイルと哲学が心地良いノリノリの曲に対してそ れらの曲は若さに満ちてみずみずしい。そんな中でもプレイグスの 表現法を大事にし たという『水上バスに乗って』はかなり異色だ(プレイグスの歌詞に「日の出桟橋」 なんて出てくる だろうか?)。実は僕にとっては最も自分の視線に近いものを感じた のはこの曲だ。ビートルズがもはや教科書の音楽 になっていた僕には伝わらない部分 が結構あるのかもしれないが、新しい世代が新しい形でそれらを受け継いでいるの は 確かだ。

 ラストを飾るポエトリー・リーディングについてもそうだが、今注目すべきことは『フルーツ』で佐野元春というヒト がやっていることなのだ。15年のベテランミュージシャンが新しい存在となっていく。それは佐野さん自身も感じてい ることだろうし、これからも目指していく、単純だけれど根本的なミュージシャンとしての姿で あろう。

  朝、小鳥の声で目を覚ました僕は今またアルバムの最後に小鳥の声を聴いている。 それもまた朝のさえずりだ。このア ルバムの中では瞑想することがあっても眠ること はなかった。解放を約束された世界の中では動的存在にとって停滞す る眠りなど本当 は必要ないのかもしれない。

 僕は今もまだ『フルーツ』を聴き続けている。クラシックのように全17曲を1曲と して聴けるアルバムだ。ひとつファ ンの皆さんに知ってもらいたいことは、ザ・ハー トランドを知らない人間が90年代も後半に入った今年になって、佐野 元春のファンにな ってしまっているということなのである。

上村 崇