能地祐子
カフェ・ボヘミアにBig Fat mamaがいる。見慣れた街を通って、今日もまた約束 の場所へと急ぐ男がいる。佐野元春が描き続けてきたひとつの“街”は今も活気に あふれ、生きている。いつか出会った人たちに再会し、初対面なのに懐かしい人た ちに挨拶をする。そして、あの頃の“力”はまだ死んではいないことを確認しあう。
最初に気づいたのは、「ヤァ!ソウルボーイ」を聞いた時だ。この歌を歌ってい るのは、かつて佐野が「ダウンタウン・ボーイ」で切り取った風景の中にいた“彼” なのか? あの時“三人称”で描かれていた彼は、いつの間にか成長していた。そし て、今は“一人称”で、「もう一度」と歌う。過ぎ去った日々を思い出して、けれ ど決してノスタルジアに浸ることなく。少年だった日々の“力”を、現在の自分自 身の中へと注ぎこんでいる。
佐野は『フルーツ』の中に、愛すべき人々や寓話の断片を凝縮して詰め込んだ。 何より印象的なのは、彼ら、またはそれらのストーリーがそれぞれ“今の表情”を して生きていることだ。前を向いて、新しい決心をしている人がいる。過去を懐か しむ目をした人がいる。まだ探しているものが見つからない人もいる。
果実のよう に美しく、残酷。熟れる、あるいは腐っていく。そのリアルな現実を描きあげた、ソングライターとしての佐野元春に魅了される。失ったものも手に入れたものも、 すべて引き連れて新たなスタート地点に立ったシンガーとしての佐野元春に圧倒される。成熟したポップ・チューンでありながら、今もハラハラさせられるスリルを 抱えている。この感覚、幸福すぎて泣ける。聞くほどに、幾重にも重ねられた絵画の一枚一枚が鮮明に見えてくる。そこに隠 された痛みや優しさが、時間をかけてじんわり浮かびあがってくる。カレイドスコー プのような光景は、わたしとこのアルバムがきっと長いつきあいになるであろうこ とを暗示する。
『フルーツ』は、ただ与えられるだけの聞き方をしたくない。それ こそ、体当たりで聞く。自分のために音楽を聞く。そんな当たり前のやりかたを、 もう一度思い出すために。『バック・トゥ・ザ・ストリート』を聞いて「人生、変 わるぜっ!」と意味もわからずわめいていた15歳の“力”が、『フルーツ』という ブラックボックスを通過してもう一度“今”になる。
能地祐子