志田 歩
ハートランド解散後に届けられたシングルのヴィヴィッドな手応えで、ある程度の予感はあったし、期待もしていた。しかしこれはなんといえばいいのか...。こちらの思惑を二回り上回るくらいの出来映えである。
まず幕を開けるのは先に行われたツアーでも披露された新バンドのテーマ・ソング。クラブ風の硬質な音色と彼の得意技のひとつとなっているジョン・レノン風のメロディの組合せが印象的だ。続いて前述のシングル「楽しい時」では、スカパラ・ホーンズとストリングスをフィーチャーして、躍動感とロンンチシズムを巧みに交差させる。さらに「恋人達の曳航」ではのどかで優雅なチェロの響きを前面に出すといった具合に、サウンドは実に多種多様。しかもこうして異なるプロダクションを濃密に施した楽曲を、意外性豊かに配置することで、トータルな流れを生み出している。
その中でもアルバム後半をしめる「メリーゴーランド」〜「フルーツ」における勢いはまさに圧倒的。ヒップホップに改めて取り組んだ「太陽だけが見えている」は、サウンドも大胆だが、エフェクトをかましたヴォーカルで聴かせる歌詞も<全世界の腰抜けどもよ>なんて具合で、今までの元春からは考えられないくらいに挑発的である。さらに曲名からして問答無用にかっこいい「霧の中のダライラマ」では...言葉の意味性もぶっちぎって切れてます、イッてますという状態に突入。それでも「フルーツ」では、ちゃんとジェントルな語りでアルバムを締め括る。
これだけ過激なことをやりつつも<ポップ・ミュージシャン>としてのマナーは実に折り目正しいのだ。だからかなりとんがった作品であるにもかかわらず、決して居丈高にはならない。表面的にはスマートに見える握手のようなものか。でも一対一でその掌に触れた者は、みんな彼の過剰なまでの情熱に胸を打たれるだろう。このストイシズムも元春の真骨頂だ。
以前の彼のアルバムとライヴのギャップを歯がゆく感じていた僕としては、94年のハートランドの解散、過去の名曲の封印といった動きはそれを解消するよい機会だと思ったし、それゆえにその後の彼の動向には大きな期待をしてきた。ただ彼に届く意見はそのように肯定的なものばかりではなかったはず。元春にとって本作を作る上での試行錯誤はある種の賭けだったはずだし、少なからぬプレッシャーもあったことと思う。にもかかわらずこれほどの作品を作り上げてしまうとは。恐るべき集中力である。
しかもこのテンションは、極めて楽天的な性質のもの。内省的な雰囲気だった93年の『サークル』などとは対照的に、新しい旅立ちにふさわしい解放感に満ちている。おそらく今の元春にはさらなる高みさえリアルに見えているのではないだろうか。<どうだ><ざまあみろ>などと、まるで自分の手柄のようにはしゃいでしまう脳天気な僕を誰か止めてくれ!
志田 歩