吉原聖洋

 彼らの姿が見える。兵士たちの銃口に花を飾った60年代のフラワー・チルドレン。あらゆる束縛からの解放を祈った50年代のヒップスター。ギターを抱えて貨物列車に飛び乗った30〜40年代のホーボーマン。時代を横断したボヘミアンたちのファミリー・トゥリーが描けそうだ。

 あるいはトリップの継続を啓示するボヘミアンのためのマンダラ。平凡な日常の退屈なリフレインの中で忘れかけていた移動の感覚が蘇る。ザ・バンドの地図とプロコル・ハルムの海図だけを頼りに旅を続けていたあの頃を思い出させる熱烈な解放への希求がここにはあり、それはかつて三重苦の少年トミーが渇望したような、そして60年代の若者たちが“火と雨”をくぐり抜けた果てに辿り着いたような、切実な治癒への希求と重なっている。

そう。いまだって本当は何も変わっていない。60年代に先導してくれたジェリー・ガルシアやティモシー・リアリーは逝ってしまったけれど、アクエリアスの時代への旅はいまも続いている。途中で降りるのは個人の自由だが、温かいベッドの中で眠っていても悪夢から逃れることはできない。

「出口がない」と言う連中もいる。でも、出口がないのなら入口から出ればいい。入口のドアは外側からロックされているって?じゃあ、窓から抜け出そう。この方法はディランから教わった。誰もが知っているシックスティーズのエピソード。出口がないくらいで絶望することはない。

 ゴキゲンなロックンロールとジャムっている時のぼくは世界で最も楽観的なペシミストとしての人生を謳歌している。ウラヌスとネプチューンのコンジャンクションの影響もあるのかもしれない。しかもこのアルバムはデジャ・ヴュとシンクロニシティの宝庫だ。なにかよいことがあるのではないかと想像しないでいることは難しい。

 “開かれた円環”とでも形容するしかない摩詞不思議な構造を持ったロックンロールのテーマパーク。オープン・エンディングとインターテクスチュアリティがイマジネーションをキックする。懐かしい旧友たちとの再会も含めて、ここではあらゆるものがつながっている。

 もちろん道(タオ)は決してひとつではない。しかし時機が来たら、ぼくらは自分の道を選ぶだろう。「その道に心があるなら」とヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンは言っている。「それがお前の道だ」

吉原聖洋