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■時代の最前線から逃げない ■Text: 田中宗一郎 |
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言葉にするのは気恥しいが、僕は佐野元春の歌から多くのことを吸収してた。佐野元春の歌に支えられてきた。MOTO本人はきっとありがとう。でも、俺は俺のために歌ってきただけさと言うだろう。けれど、今も相変わらず僕は佐野元春の歌に支えられながら生きている。『Stones and Eggs』を聴きながら、改めてそう思った。下らないいくつもの問題を抱えながら、それでもちょっとした楽しみや希望を糧に生きていく力を、MOTOの歌に分け与えてもらっている。そんな自分に改めて気がついた。 こう生きろとかこれが正解だとか。『Stones and Eggs』に収められた10の歌たちの中には、聴き手にあれこれ指図する言葉は何1つ出てこない。自分の主張を押しつけたりもしない。経歴を少しでも振り返ればわかると思うが、佐野元春がアジテーターであったことは今まで1度もなかった。常に音楽的変化を遂げながら、けれど一貫して安っぽいアジテート・ソングとは距離を置き、自分自身の視点で自分にとっての現実を切り取り、歌にしてきた。この『Stones and Eggs』の中でも、MOTOはそのスタイルを少しも崩していない。明快なメッセージを提示するというより、曲に託した時代の匂いを聴き手に探らせ、嗅ぎ取らせる。直接的なメッセージだけで完結しない曲。もっと言えば、わかりやすく自分を癒し励ます言葉を期待している聴き手にとっては、不親切にも感じられる曲。けれど、そんな曲を歌い続けてきたからこそ、僕らは今も彼の歌を聴き続けているのだと思う。 お前が悪いとか奴が敵だとか、問題や障害の根源を1つに限定するのが難しい時代の中に、今僕らは生きていると思う。いや、今だけじゃなくずっと以前からそうだったのかもしれない。1つの問題を引き剥がせば、その裏にはまた別の問題が見えてくる。1つのイデオロギーで悪を限定すれば、その裏にある善が押し潰される。白と黒が入り混じり、見ようと思えば全部が灰色に見える。そんな一言で言い切るのが困難な時代の中で、自分の立ち位置を明かさず一般論で善悪を決める奴らを、自分不在の客観論で逃げようとする奴らを、僕らは常に1番疑い続けてきた。そんな奴らの意見に、僕らは1番不審を募らせてきた。そしてMOTOは、そんな奴らと常に対局の場所に立ち、今も立ち続けている。 佐野元春は決して時代の最前線から逃げない。客観的な言葉で、自分の立ち位置をごまかそうともしない。僕らと同じ時代の空気を吸い、同じ時代の流れの中に立ちながら、自分の見た現実を自分自身の言葉で曲の中に描き出してゆく。例えば「愚かな純粋が邪魔する弊害 どうか見届けられますように 生きてくかぎりのあらゆる障害 どうか乗り越えられますように」とラップする『GO4』。例えば「口で言うことはたやすいけれど どうか元気を出して もしも希望が消えたとしても 決して泣かないで」と歌いかけてくる、『石と卵』。安易に優しさを振りまくのでも、強さを振りかざすのでもなく、ありのままの現実を見据え、語りかけてくるMOTO。無垢なイノセンスが孕む危険と、傍観者が無意識にまき散らす不誠実さを鋭く指摘しながら。 来年、MOTOデビュー20周年を迎える。頑固なファンにはブッ飛ばされそうだが、僕よりずっと年上の彼が作ったこの作品を聴きながら、負けてらんねえと思った。正直悔しいと思った。お仕着せの答えで一瞬だけ現実を忘れさせる歌なんかじゃなく、聴き手に自分自身の現実を見つめさせ、自分自身の答えを見つけさせる力を与える歌。そんな音楽を生み出し続ける佐野元春。めんどくさいことだらけの時代の中の、めんどくさいことだらけの毎日だけど、いつも自分のそばには彼の歌がある。いつも自分の少し前を歩いていく彼の姿が見える。そして今も確実に、MOTOの歌は僕に自分自身を見つけさせてくれる。
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