16 | 社会現象にもなった佐野元春ブーム
1982 -1983



 佐野元春が伝えようとしてきた“荒廃した都市の中に息づくイノセンス”というテーマは、3枚のアルバム『Back To The Street』、『Heart Beat』、『SOMEDAY』で新しい言葉と新しいロックンロールを渇望するティーン・エイジャーには十分伝わり始めていた。

 時代の、日本のロックの先駆者であった佐野元春は、メディアの中では特異な存在であった。特に派手なパフォーマンスや刺激的なメディアへの露出がないのにも関わらず、好意的に受け入れられるスピードは周囲の予想を越える速さで進んでいった。その背景は、地道なライヴ活動と彼の持つラジオ・プログラムを媒介にし、口コミの力がほぼすべてだと言ってもいい。

 それと同時に佐野からのインンスピレーションを直接的に貰ったニュー・アーティストが既にシーンに登場してきたのだ。尾崎豊と吉川晃司である。

 2人はそれぞれタイプの異なる新世代のシンガーではあるが、尾崎は歌の中に放りこむ青春の怒りや焦燥感を、吉川は佐野独特の唱法を既にデビューした時点で見せていた(白井貴子もデビュー・アルバムで「サムデイ」をカヴァー)。

 当時の彼らは佐野からの影響を実際にインタヴューなどの公の場で語っていたりもした。外部の人間からの声で佐野元春を知ったというリスナーにも、本人の肖像が次第に強く求められていたこの時期。絶好のタイミングで初期3部作からベスト、入門書的に編まれたのが'83年4月リリースの『No Damage』。佐野にとって初めてのチャート1位を獲得したアルバムである。

 しかし日々高まる音楽シーン、リスナーからの佐野元春への訴求パワーをよそに、本人は音楽に対する新たな発見を求め、NYへ旅立ったのである。これまでの常識ならばこのチャンスを逃す手立てはないはず。本人が直接自覚しないところで評価は高まっていったのだ。佐野からの答えは『VISITORS』まで待たなければならなかった。

(東 雄一朗)



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