95年春、佐野は新作のレコーディングを開始する。前年のザ・ハートランド解散から初となるアルバム制作は、まず新たなセッション・ミュージシャンの選定から着手された。セッションが始まったのは4月。知己の者からまったく初対面の者まで、幾人のミュージシャンがスタジオに呼び寄せられる。
ここで佐野が心掛けた行為は、なるべく若い世代のミュージシャンとのセッションを楽しむことだった。のちに佐野は、スタジオ入り寸前の気持ちを『Diary
- Studio Days』の中でこのように綴っている。
「レコーディングを通して彼らと出会い、演奏を通して、世代を超えたある確かな意識を交歓したかった。そして、何よりもごきげんなポップ・アルバムを創りたかった。僕の望みは叶うのだろうか?」
固定されたメンバーではなく、曲ごとに演奏するミュージシャンが変わる。ベテランと若手の区別なく、様々なタイプの人々が佐野のスケッチ・ブックとも言えるデモ曲に多彩な色をつけていった。そうしたセッションの積み重ねからアルバム『フルーツ』の制作が進行する一方、佐野はこの年の暮れ、ついにバンドの構成を固定する。
ギターの佐橋佳幸、ドラムスの小田原豊、ベースの井上富雄、幅広い楽器プレイヤーのKYON、そしてザ・ハートランドからキーボーディストの西本明。選び出されたこの5名に、スカパラ・ホーンズとコーラスのセクストン姉妹を加えたメンバーによって結成された「インターナショナル・ホーボーキング・バンド」は1996年1月から全国ツアー「International
Hobo King Tour」を開始。いわば「モト・クラシック」を鳴らすだけでなく、いかに新バンドが佐野と合体融合するか――その試金石のようなステージが続いた。
譜面化困難と言われたザ・ハートランドのライヴ・バージョンのスコアを書き起こしたのは西本明。しかし、それまでの「オリジナル」を継承し、新しい演奏者の「オリジナル」に転化する役割は、メンバー個々の実力が担うことになる。彼らはツアー初日からセットが変わりまくるステージを器用にこなし、バンドとしての一体を求めた。結果、初めてのバンド・ロードは成功を収め、フレキシブルな発展性を秘めた前述5名によって新バンドの一歩は踏み出された。
その後、バンドは名称を「ザ・ホーボーキング・バンド」に改め、次のアルバム『THE BARN』でサウンドの結実を迎えることになる。その際のクレジットは「Motoharu
Sano with The Hobo King Band」ではなく「Motoharu Sano and The Hobo King
Band」だった。