成熟した世代の英知
渡辺 亨(音楽評論家)

 ギターが良く鳴っている。しかもアコースティック・ギターだけでなく、エレクトリック・ギターも、“素”に近い音で、すごく良く鳴っている。だからついアンプのボリュームを上げたくなる。
 
 結果的にギターが良く鳴っているというわではなく、そもそもギターが良く鳴るタイプの曲が揃っている、と言うべきだろう。とりわけ「星の下 路の下」「荒地の何処かで」「君が気高い孤独なら」といった冒頭から3曲目までは、ティーンエイジャーのやみくもな情熱が封じ込められたような曲。つまりロックンロールだから、ギターの鳴りがすこぶる良く、ビートもしゃきっとしている。だからこれら3曲を聴いていると、視界がぐんぐん開けていくような爽快な感覚にとらわれる。まさしく「気持ちのいい風が吹いている」(「荒地の何処かで」)。そして、その爽やかな風を背中に受けて、ロックンロールがさらに転がり続ける。
 
 『COYOTE』は「君が気高い孤独なら」で最初のピークを迎え、切なげで初々しいバラード「折れた翼」と「呼吸」を間に挟み、「ラジオ・デイズ」から再び持ち上げられ、徐々にクライマックスの「コヨーテ、海へ」へと導かれる。プロのミュージシャンとして、すでに4半世紀以上の長きにわたってロックを追求し続けてきたアーティスト。このアルバムの見事なドラマツルギーと構成は、そうした佐野元春ならではのものだろう。しかし、何よりも印象的なのは、作風そのものが若返ったことだ。自分より一回り以上、下の世代の3人のミュージシャン。彼らとバンドを組んだことによって、佐野元春はいつになく速いピッチでロックンロールの荒野を駆け抜けている。いや、単にピッチが速くなっただけではなく、佐野元春自身が、音楽そのものが、より身軽になった。80年代〜90年代前半を疾走していた“佐野元春”が戻ってきた、と感じる人は少なくないだろう。
 
 自分の生きる時代に真っ向から向き合う姿勢は、変わっていない。現代を荒地と見立てているわけだから、アルバムのテーマ自体は重くシリアスである。が、しかし、音楽そのものは厚ぼったくなく、重くもなく、開放感と躍動感にあふれている。そして、その暗雲を切り裂くようなギター・サウンドと力強いタッチで大地に刻まれるようなビートに乗せて伝えられるものは、“成熟した世代の英知”だ。「黄金色の天使」を探しているすべての少年少女たち。彼らにとって『COYOTE』は、コンパスと地図の役割を果たしてくれるに違いない。