10日は佐野元春&ザ・ホーボー・キング・バンドをビルボード東京にて。

3月から三ヶ月連続して東京および大阪の同会場で行われてきた今回のライヴもいよいよ千秋楽近く。この日私が見たのはセカンド・ショウのほうだったが、程よい熱気に満たされた一夜となった。

ライヴごとに異なるテーマを設けて、それを二つのバンドを使い分けながら実践する。それが21世紀を迎えてからの佐野元春およその道のりだ。荒削りなコヨーテ・バンドと手練手管のホーボー・キング・バンドとはいわば対照的とも言える存在であり、そんな若さと円熟という両極がともにロック音楽の属性であることも面白いが、今回行われた”Smoke & Blue"ツアーは後者の味わいを惜しみなく出し尽くすものとなった。ライヴ・レストランという会場設定もさることながら、佐野自身すべての曲をシットダウン形式で弾き語るなど、寛いだ雰囲気のなかにキャリアを滲ませるといった趣向が強い。一つの区切りとなった昨年の30周年アニヴァーサリー・ツアーで壮大な音楽地図を描き切った彼としては、ここら辺で異なるアプローチを、それもなるべく親密にファンと触れ合うような形で行いたかったのではないだろうか。

そうした意図は「マンハッタン・ブリッジにたたずんで」や「情けない週末」といった初期の名曲はもとより、「だいじょうぶ、と彼女は言った」や「七日じゃ足りない」といったやや脇道に位置する作品をも大胆に組み込んで新たな流れを生み出していったセット・リストから十分汲み取れた。熱心なファンへのサービスといったこと以上に、昨年のセルフ・カバー・アルバム『月と専制君主』で得られた手応えがまだ生々しく残り、彼自身が古い歌やあまり出番のない曲を慈しんでいる証なのかもしれない。古い歌の新しい解釈。悪くないじゃないか。一曲一曲に込められたストーリーがオリジナル・アルバムのシークエンスとしてではなく、一期一会のライヴでの連なりのなかで、あるいは激しく揺れ動いてゆく時代のうねりのなかで、また別の意味を携えていく。そんな場面に立ち会い、感じ入ることが出来る聞き手たちもまた、もう一人の歌の併走者だ。

しかも今回のホーボー・キング・バンドは、専任ギタリストが欠席するなか佐野自らギターを弾く機会が増えた。そのせいか編曲も曲の骨格が浮き彫りになるソングライター的なものへとシフト。そんな意味では、今回新たに帯同することになった笠原あやのが奏でるチェロの響きは、確実に歌詞の含みやメロディの揺らぎにまで接近していった。昨年のツアーでは「欲望」や「きみを連れてゆく」などのシリアスな楽曲が震災後の多くの人々の心情に寄り添ったが、今回そうした辛辣な選曲は自問的な「ウィークリー・ニュース」のみに留められ、むしろファッツ・ドミノに会釈する「君の魂、大事な魂」のような明るい歌の数々が、心に染み込んで手足を温め直していく。

人を動かすのが極めてシンプルな動機であるように、美しい曲はどうやら人を時間を埋めるだけのチープ・トークから救い出し、もっと遥か先を見渡そうとする力へと手を差し伸べていくようだ。

佐野にとって母親の世代である雪村いづみを特別ゲストに招き、まずは「L-O-V-E」を、次に佐野が戦後という時代や雪村に思いを馳せて作ったというスウィンギーな新曲「トーキョー・シック(街に出掛けようよ)」を、そして「恋人になって」を束ねた終盤の3曲は、まさに今日という日のためのハイライトとなった。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのカバーも印象的だったスタンダード曲「ケ・セラ・セラ」が本日の最終曲となったが、そこでも佐野は再度雪村を呼びこの歌を分かち合った。

重荷を引き受け、ときに時代の先鋭的な部分を切り取ってきた佐野が、雪村という昭和歌謡のプリンセスをリスペクトすること。それは懐古趣味でも片思い的回想でもなく、血の通った人々や無垢なもの、あるいはこれから始まっていく物事に対するもっと本能的な部分での肯定だ。とくに「トーキョー・シック」は、佐野の初期作で活写されていた街のイメージとも確実に響き合うのが面白い。雪村いづみといえば、ロック世代にとってはキャラメル・ママ(のちのティン・パン・アレイ)とコラボレイトした74年のアルバム『スーパー・ジェネレーション』で親しまれてきた人でもあるが、モダンな佇まいといい、明るくあろうとする心映えといい、この日のわずかな時間からもそんな思いは伝播していった。事実、聞き手を佐野の新宿ルイード時代へと連れ戻していくミッチ・ライダーの狂騒的なロックンロール・メドレーと雪村の歌との間に距離は一切なかった。

大事な思いや愛おしい人々がときに激しい情動によって守られる。振り返ってみれば佐野元春はデビューした1980年の時点から、そのようなアクティヴな実践者であり献身的な守り手であった。たとえ大衆が佐野に冷笑的な態度を示した時でさえ、彼はいつもの”ちょっと気の利いたやり方”で萎れかけた草木に雨を降らせた。その土地が枯れているのであれば、誰に頼まれるわけでもなく水を撒いた。佐野がいなければ導かれることがなかった場所があり、光景がある。私はそのことを今日も思い、明日もまた発見していくことだろう。