14 | ビジターズ ── N.Y.での生活
1982 -1983



 1983年4月、佐野元春は単身ニューヨークに向かった。デビュー後、3年間に発表したシングル曲を中心に、スマートにまとめたコンピレーション『No Damage』がアルバム・チャートのナンバーワンとなったのと前後しての渡米で、サード・アルバム『SOMEDAY』や「ロックンロール・ナイト・ツアー」の成功を受け、これから(商業的に)大きくステップアップする時期だとレコード会社もマネージメントも思っていた、その矢先の行動だった。

 しかし、その後の1年あまりのマンハッタンでの暮らしが、佐野にあれほど大きな(音楽的な)ステップアップをもたらすことになるとは、レコード会社はもちろん、もしかしたら本人も考えていなかったかもしれない。


 当時のニューヨークではヒップホップのムーヴメントの大きなうねりがうまれつつあった。佐野元春はその真っ只中も身を置き、ヒップホップ・カルチャーを“異邦人”の立場で非常にジャーナリスティックに捉えた傑作アルバム『VISITORS』を作り上げた。 

 いまでこそ“傑作”という定評のある『VISITORS』だが、そのアルバムを携えて彼が84年の5月に帰国したときの音楽業界やプレスの反応は、絶賛とか驚嘆というよりも困惑に近かった。なにしろ当時、そうした音楽を試みるアーティストはまだ日本には現れていなかったし、ラップやヒップホップということばさえ一般的には知られていなかったのだ。 

 いま、あらためて『VISITORS』を聴き返しても、これが15年前に作られたアルバムだという気はしない。サウンドは多少古びた感が否めないが、80年代なかばのニューヨークのムードにあふれた演奏をバックに、ビートに乗って詩を朗読するような佐野の“ラップ”には、そうした新しい表現に向かおうとする彼の音楽的衝動や決意がはっきりとうかがえる。新しい文化の誕生や発展をじかに目撃するというのは、どれほどスリルに満ちた体験だろうか。

 『VISITORS』がその後の日本の音楽に与えた影響の大きさは計り知れないが、佐野自身がこのアルバムから受けた影響も決して小さなものではなかったはずだ。

(山本智志)



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