大好きなアーティストのステージは間近で見たい、自分の音楽はできるだけオーディエンスに近い距離で届けたい──それは音楽を受ける側にとっても発進する側にとっても、一番望む形だろう。…が、その存在が大きくなると、そのためのチケットを売ることさえままならない。そんなエピソードが、彼のNTT電話回線パンク事件だ。
当時、アリーナ・クラス、スタジアム・クラスでのコンサートが多くなっていた彼が、もっとオーディエンスと近い距離でコミュニケイトしたいということで、あえてキャパシティーが1,360人という、日本青年館でのマンスリーライヴを決断したのが、 1986年の春だった。
そしてそのチケットの売り方は、ぴあの電話予約のみに限られた。その第一回目の予約受け付けが、ライヴが行なわれる1ヵ月前の3月13日 午後6時30分にスタートするや電話が殺到、都内の1万9千回線がパンクし、2時間以上も音信不能になってしまったのだ。
ぴあ側は青年館の座席数や彼の人気を考慮して22台の電話を用意したというが、それでも見通しが甘かったということだ。それはそうだろう。豆粒ほどの大きさの彼を楽しむしかなかったものが、目鼻立ちがはっきりわかる距離で楽しめるのだ。どれだけの予約が殺到するかは、容易に想像できてしかるべきだったと思うのだが。
そんなエピソードを持つ彼は、今も武道館クラスの会場でライヴをやる一方で、青年館とまではいわないものの、渋谷公会堂など普通のホールでのライヴも続け、赤坂ブリッツなどライヴハウスでのイベントも行なっている。やる側と見る側が同じ空間を共有できる、小さなスペースでのライヴの楽しさ。それを忘れない彼の姿勢は、うれしいものだ。