04 | エーテルのための序章
1990-1992



 《エーテルのための序章》は、'80年代末に雑誌「SWITCH」に掲載され、のちに単行本『ハートランドからの手紙』に収められた散文詩である。

 第一部六話、第二部六話によって構成される文章は、詩と呼ぶのをためらってしまうほどノベル仕立てで、短編小説のようなものだ。一言で言い表すならばアフォリズム。活字表現者としての佐野元春の骨頂があらわれた作品だろう。

 

 彼は文体のリズムを大事にしながら、ビートニクスとボリス・ヴィアンを思わせる激しいモノローグをたたみかけている。語り部の「おれ」は、さまざまな日常の「意識」の中をさまよう。どこかの部屋、いつかの朝か夜、または移動の昼。舞台を問わず「意識」が覚醒しているとき、言葉にするのがもどかしいほどタイプライターを連打する……そんな姿が目に浮かぶ。

 佐野は『ハートランドからの手紙』のあとがきでこう書く。「この本の中の言葉は、どれも、机に向かってじっくり練られたものではない。ギグが終わった後のホテルで、旅先の横丁で、移動する車の中で、突然の閃きを、とりあえず書きつけておいたメモ書きのようなものだ。正直いって、そうした個人的な記録めいたものが、だんだんと手元に集まってくるのを眺めていると、奇妙な気持ちになる。言葉を書きつける瞬間はいつも問いかける対象が明確なのに、時間が経つとたちまち曖昧になってしまう。おそらく現実のスピードのほうが速いのだろう」

 もちろん《エーテルのための序章》もそのひとつ。この散文詩がロード・トリップの途上で綴られたことを頭にとどめながらふたたび読むと、まさしく現代社会をテーマにした『路上』と呼びたくなる。

 とは言え、これはまだ「序章」に過ぎない。かねてから佐野はこのシリーズの続きにとりかかろうとする意欲を口にしている。残念ながら、そうした「本編」を読むことはまだおあずけのままだが、いずれ一冊の本にまとまったとき、日本では異質で希有な文学作品になることは間違いない。

 佐野のノートブックには多くの「欠片」が保存されていると思われるが、早々たる刊行を期待したいものである。

(増渕俊之)



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