1990年12月28日、大阪フェスティバル・ホールでは“衝撃”とも言える出来事が起こった。この日は約2ヶ月に渡って続いた『タイムアウト!ツアー』の最終日であると共に、ゲストとして参加するオノ・ヨーコとショーン・レノンとのセッションが行なわれる記念すべき夜だった。
ジョン・レノンの生誕50周年を記念したイベント『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』の趣旨に賛同して、佐野が作詞作曲した「エイジアン・フラワーズ」をセッションするのがこの夜の最大の目的だったが、ショーン・レノンの提案でボブ・ディランの「天国の扉」が急遽メニューに加わり、さらにアンコールではビートルズの「レヴォリューション」が演奏され、特別な意味を持つスピリチュアルな夜となった。
当日の数回のリハーサルのみでステージに乗せられた「天国の扉」だったが、ザ・ハートランドのボキャブラリーと相応する3コードのバラッドだったからか、予想以上に成熟した演奏が披露された。一方、ザ・ハートランドのメンバーでリハーサルを繰り返したと思われる「レヴォリューション」は攻撃的なファンク・ロックとして生まれ変わっていた。
1991年2月26日、中東では湾岸戦争が泥沼化し、テレビのブラウン管には佐野元春が映っていた。ガスマスクを被った彼が短い一人芝居で笑わせてくれた後、画面には“STOP THE WAR”とテロップが流れ、「レヴォリューション」のライヴ演奏が放送された。そして、その2日後、湾岸戦争が終結した。佐野の歌に込められた祈りが天国に届いたかのような瞬間だった。