04 | ザ・ハートランドの解散
1993-1994



 佐野元春にとって、ザ・ハートランドは、ボブ・ディランにとってのザ・バンドだったのかもしれない。歌手と演奏者という関係を超え、両者は刺激しあい、自らの音楽を育んでいった。おそらく、その存在がなければ、佐野元春の音楽はずいぶんと違ったものになっていただろう。

 佐野元春の代表曲「ロックンロール・ナイト」は、ザ・ハートランドのメンバーが演奏に参加している。そこにはロックロール・バンド特有のたゆたうようなうねり(グルーヴといってしまっては軽薄すぎる)があった。同曲に限らず、どの曲の“うねり”も彼らがいなければ生まれてこなかったものばかりだ。


Photo: 岩岡吾郎

 ザ・ハートランドは、1980年に生まれている。テクノポップの猛威と産業ロックが氾濫する─―ある意味ではロックンロール不毛の、荒地のような時代に、ロックンロールを信じ、共に音楽を作っていけるメンバーに出会えたことは、幸運だったとしか言いようがない。古田たかしや小野田清文、阿部吉剛、ダディ柴田など、文字通り、佐野元春がライヴハウスを丹念に歩いてまわり、見つけ出してきたメンバーである。

 1980年から1994年まで、実に14年間にわたって、佐野元春のレコーディングやライヴを支えてきたザ・ハートランド。このコラムの「横浜スタジアム・ライヴ」の項で前述したが、佐野元春は結成当時によく「俺たちは "がんばれベアーズ"だ。今はヘタクソでも、いつか大きな舞台で優勝しよう!」と言っていた。まさにその言葉通り、共に成長しながら様々なドラマとストーリーを作ってきた。

 そのザ・ハートランドとの活動に終止符が打たれたのは1994年9月15日、横浜スタジアムでの「Land Ho!」だった。デビューの地、横浜でフィナーレを飾る。その場には伊藤銀次や横内タケ、里村美和など、かつてのメンバーも駆けつけた。3時間にも及ぶステージは、そのまま佐野元春とザ・ハートランドの歴史を凝縮して見せ、彼らがどこから来て、どこへ行くのかを垣間見せた。その最後を飾るに相応しいものだったのだ。

 佐野元春とザ・ハートランドとの蜜月期間、その軌跡は、3枚組のライブ・アルバム『ザ・ゴールデン・リング』に刻まれている。“ザ・ゴールデン・リング”――そのタイトルを敢えて冠したのは、ザ・ハートランドは佐野元春にとって“瓦礫の中のゴールデン・リング”だったからかもしれない。

 ザ・ハートランドの解散後、佐野元春が新しい仲間、ホーボーキング・バンド(当初は頭に“インターナショナル”が付いていた)を見つけ、彼らとコラボレート(というか、そのレコーディングの中からバンドが生まれた)したアルバム『フルーツ』まで、しばらく時間がかかっている。おそらく、それだけ、ザ・ハートランドの解散は佐野元春にとって、大きな痛手だったのだろう。ザ・ハートランドの存在が単なるバックアップ・バンドを超えていたことの証明だ。

 彼らのように技術的にも人間的にも優れ、 音楽的な血縁関係を結び、かつ運命共同体の“音楽家族”として機能するなど、そうあるものではない。まさに稀有な例だろう。佐野元春とザ・ハートランドの解散は、“本物のロックンロール・バンド”の終焉を意味していた。

●参考資料
解散のアナウンスとしてメディアに配布されたコメント「ハートランドからの手紙#73


(市川清師)



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