14 | 野茂英雄との交友
1995-1996



 1991年の「See Far Miles Tour」。ステージに颯爽と登場した佐野がまとっていた赤と青の派手なスタジアム・ジャンパー。当時、近鉄バファローズに在籍していた野茂英雄投手がプレゼントした自チームのグラウンド・コートだった。

 学生時代、バンドを組んでいた同僚の吉井理人投手(現コロラド・ロッキーズ)に薦められるまま聞いた佐野ミュージック。すっかり惹かれた野茂はプレゼントのコートを持参してコンサートに訪れたのだ。

 

 その後、1994年末のメジャー・リーグへの移籍騒動。ほとんどすべての野球関係者、マスコミの轟々たる非難(「日本人の恥だ」とまで言われていた最中、佐野は野茂に励ます手紙を書いている。それに「勇気づけられた」と野茂)、選手によるストライキでペナント・レースが再開する目処がたたない中、彼は単身、アメリカに渡った。

 その後の活躍はご存知の通り。一転して時の総理大臣からも「国民的ヒーロー」と言われるなど、国をあげて祭り上げられた混乱の野茂フィーヴァーの1年を過ごす時、マウンドに上がる前、クラブ・ハウスで集中力を高める際、ウォークマンで佐野の「彼女の隣人」を聴いていたというエピソードが興味深い。

 佐野のナンバーの中でも特に「救済」というテーマが全面に出たこの曲。前半の静かな曲調から徐々に力が高まっていき、セクストン・シスターズによるゴスペル・タッチのバック・コーラスに支えられて佐野が歌うリフレインの「Don't Cry」で昇華する中、野茂は気持ちが高まっていくと同時にグラウンド外の喧騒から解き放たれ、無になっていったのではないか?

 その後、『THIS』にて佐野によるインタヴューも掲載された。佐野と野茂。ジャンルは違えどグローバルな視点から己の「個」を貫いていく姿勢はまったくの同じ。野茂が佐野の音楽に共感したのは自然な流れだったのだ。

(山崎二郎)



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