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09 | 『The Essential Cafe Bohemia』 | 2005-2006 |
アフリカの飢餓が世界規模の関心事になっていた80年代半ば、まさに日本はバブルの幕開けを迎えていた。物質文明に抗う精神活動こそがビートの核ともいえたが、バブルが泡立ちはじめていた86年の年明け、NYを訪ねた佐野はアレン・ギンズバーグと初対面する。ビートニクスは今も存在しているのかという佐野の問いに、ギンズバーグは“ボヘミアン”として今なお生き続けており、自分自身にも縛られることなく、自由で、実験の心を持ち続けている人のことだ、と応じた。この言葉から次のアクションの答えが閃いた佐野は、“カフェ・ボヘミア”というコミュニケーション・コンセプトを考案し、展開していくことになる。
その中核を担ったのが、アルバム『Cafe Bohemia』だ。ジャズ、リズム&ブルース、スカ、レゲエほか多様な要素を化学反応させた本作品は、全編ザ・ハートランドのみで録られた初のアルバムだった。“言葉に税はかからない”と歌われる「月と専制君主」には、“君は君/かけがえなく/カフェの灯に揺れて/しばらくは このまま/Baby baby 歩いてゆこう”というラインもあった。前作で“訪問者”となった佐野は、本作では“彷徨者”となって、都市における個の自由の形を探ってゆく。そしてアルバムのリリースに先立ち「カフェ・ボヘミア・ミーティング」という移動型の集会所を全国巡回させ、ライヴを通してファンとボヘミアン精神を共有しあった。
その20年後、未だに佐野は“ボヘミアン”だった。独立した立ち位置で、独自の表現活動を続けていた。そしてボヘミアン元年ともなった86年を中心に、音や詩や映像など“実験の賜物”を資料性豊かにまとめた『The Essential Cafe Bohemia』を発表。リマスター2CDに、佐野自身、ないと思っていた『東京マンスリー』の映像(86年9月25日の最終公演)を含むDVD、加えて詩集とブックレットから成るアートボックスは、個から個への伝達を希求した“カフェ・ボヘミア”運動の、確たる結晶体だといえる。
(城山隆)
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