ハートランドからの手紙#157
掲載時:2003年12月
掲載場所:パイド・パイパー・ハウス・メモリアル・イベント宣伝チラシ
掲載タイトル:「パイド・パイパー・デイズ」- 都市流民のためのベースキャンプ

「パイド・パイパー・デイズ」 - 都市流民のためのベースキャンプ
佐野元春

 20代のはじめ頃、書を捨てて街に出た僕はサブカルチャー・テロリストだった。時代は70年代中盤。ウッドストックには遅すぎ、パンクには早すぎた季節。ひとりだった自分は盲目的に曲を書き始めていた。

 マーク・ベノ、リオン・ラッセル、J.J.ケイル、ジェフ・マルダー。僕のターンテーブルで、ひっきりなしに回る黒いビニール。ガールフレンドの胸元を飾るターコイス・ブルーのインデアン・ジュアリー。彼女は「全地球カタログ」を腰かけにして、まだ見ぬ地球の近未来に、憂いに満ちたまなざしを落としていた。

 陽の深い冬の午後、僕や彼女や仲間達はサバイバルのための道具、それは音楽であれ、アートであれ、衣服であれ、ヒトから発せられるすべての創造的バイブレーション、を求めて街に繰り出し、双方向受信し、装飾をはぎとり、文明という名のもとに剥奪された原初的な感情、ものの始まりに見られる野蛮なエネルギーを、身体と自然の直接的なつながりを身体いっぱいに取り戻そうと必死だった。

 70年代中盤。若い自分たちは、街角の蛮族、都市流民だった。モノや情報があふれ出し、モノや情報に溺れないよう、グローバリズムに対する直感的な警戒心を持った最初の世代だった。21世紀に暮らす子どもたちを見れば、彼らがまちがいなく自分たちの子孫だということがわかる。その打ちひしがれて力のない視力や、自ら引き裂いた衣類を身にまとう彼らを覆う直感的な警戒心。僕は傲慢なほど何もかもわかっていた。

 そして、「ロック」と呼ばれる音楽は、その確信を強く裏付けてくれる。当時、自分にはふたつのベースキャンプがあった。ひとつが渋谷の「BYG」、もうひとつが東京青山にあった一件のレコード・ショップだった。僕と仲間達はそこに通った。店の名前は「パイド・パイパー・ハウス」といった。店の主は的確なナビゲータだった。自分のように飢えた音楽喰らいにとって彼はまさに笛吹き童子=パイドパイパー、だった。彼の導きによって、冬の一日が幸せに過ごせるのかどうかが決まった。僕は充分な金がなかったので、もっぱらカット盤を漁った。はずれもあれば宝もあった。

 好きなミュージシャンの新しいレコードを見つける。パッケージを開く。たっぷり時間をとってゆっくり聴く。腐ったヒットチャートはクズカゴに捨てて、魂の電源をONにする。ターンテーブルが静かにゆっくりと回りだし、アコースティックな響きが大気に解き放たれるとき、国籍を越え、性別を越え、僕らは友達になった。眠り続ける世界に心を歪ませた20代のはじめ頃。ある冬の気分のいい日は、そんなふうにして過ごした。

 「パイド・パイパー・ハウス」は、都市流民のためのベース・キャンプだった。
 「パイド・パイパー・ハウス」には、街角の蛮族を惹きつけてやまない、無二の魅力があった。

 ここに出入りできた僕は、幸運だった。


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